さよなら全てのエヴァンゲリオン
僕とエヴァ
僕が初めてエヴァンゲリオンを見たのは今から10年ほど前、小学生高学年の頃に見た『序』だ。その頃の僕は新劇場版が純粋なTV版のリメイクだと思っていたのでヤシマ作戦以降はTSUTAYAでアニメ版のDVDを借りてそのまま『Air/まごころを、君に(通称 旧劇)』まで一気に見た。それからは『破』を見て「あれ?アニメと違うんだ!」と気づき、中学生の頃には『Q』を映画館で見てその内容に唖然とした。
そして当初の公開予定からしばらく年月の経った2021年、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開された。公開日の1番早い上映回を見た。純粋に楽しみだったのとほぼ間違いなくネット上に上がるネタバレが怖いのとちょうど半々だった。今回のエヴァも今までのエヴァ同様難解な内容だった。一度見ただけでは理解できなかった内容は後々いろんな人の考察を見るとして、自分なりの解釈を述べていきたい。
ここからはネタバレを含みますのでご注意ください
『作品内のエヴァンゲリオン』と『コンテンツとしてのエヴァンゲリオン』
今作は『作品内のエヴァンゲリオン』と『コンテンツとしてのエヴァンゲリオン』が描かれている、と個人的に感じた。
それが顕著に感じられたのは物語の後半に描かれるシンジとゲンドウのバトルだ。13号機に乗ったゲンドウと初号機に乗ったシンジ。バトルの舞台はマイナス宇宙。そこは人間が認識できる範疇を越えているため、心象背景が映し出される。
2体のエヴァは市街地、教室、ミサトの家...と場所を変えながら闘いは繰り広げられていく。それはシンジの心、記憶が反映されている事を表していて実際にそれらの場所で闘っているわけではない。
そして場所は第三東京。激しい闘いによって壊れていくビル群。しかしこのビルの壊れ方の違和感がすごい。ただの大学生でも気付くレベルだ。さらに闘いは激しさを増し街が壊れていく事で今まで闘っていた街がスタジオのセットである事が分かる。
当然ではあるが、シンジはこれまでビルのセットで闘ったことはない。とすれば、これは誰の心象背景なのか。それは現実世界で「アニメ版、劇場版エヴァンゲリオン」を見てきた僕達の心象背景だと僕は考えた。だから第三東京はセット(=フィクション)として表現されている。
今までエヴァを見ていた僕たちも『シン・エヴァンゲリオン劇場版』という舞台上に上げられた事という事だ。
そしてクライマックスでシンジが言ったセリフ
「さようなら 全てのエヴァンゲリオン」
これは物語の中で"汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンから解放された事"を示すセリフだ。と同時に"新世紀エヴァンゲリオンの完結を見届けた事によって僕たち現実世界の人間がエヴァンゲリオンというコンテンツから解放された"事を表すセリフでもあると僕は考えた。
新世紀
アニメ版のタイトルにもある"新世紀"。劇場版4部作には出てこなかった"新世紀"というワードが最後の最後で出てきた。
一時代を築き上げたエヴァンゲリオンが完結した事により1つの時代が終わった
という僕たちに向けたメッセージだと受け取った。
人生の約半分をエヴァンゲリオンがある人生として過ごした。作中でシンジがエヴァから離れて新しいスタートを切ったように、僕たちもエヴァから離れた世界で新しいスタートを切ることとなる。が、冒頭にも述べたように一度の試聴だけでは理解しきれなかった部分も多かったのでこの先上がるであろう色んな人の考察を通じてもう少しだけエヴァを楽しみたい。とはいえエヴァンゲリオンはしっかり完結した。
さようなら全てのエヴァンゲリオン
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