2024.04.08かぼちゃの煮っ転がし

ちょっと前まで毎日菓子パン食べないと気がすまなくて、痩せたーいと思いながら日々コンビニの菓子パンを頬張っていた。

ゆるやかに菓子パン欲はおさまり、健康食のターンがやってきた。欲望は抑えようとすると膨れあがる。自然に任せておけば、ニュートラルに戻っていくのである。

純粋な玄米を家で炊いて食べたことがなかったので、勢いで玄米を買った。説明通りの水の量を入れて玄米モードで炊くと、かなり柔らかめになるのはどういうことだろう。ちょうど良い炊き上がりになる水加減を研究しなきゃ。

健康食ターンとはいえ、甘いものを食べないぞ!と思うと反動でまた欲望がムクムクと育ってしまう。そこで、今日はおかずにかぼちゃを砂糖と醤油で甘く煮っ転がすことにする。せいろで蒸したかぼちゃを、フライパンでサッと甘辛いタレに絡める。

お味噌汁と玄米、大根おろし納豆、かぼちゃの煮っ転がし。すばらしい献立じゃないか。

柔らかくて甘いかぼちゃを食べていたら、18歳で東京に出てきた一人暮らしの初日に作ったのが、かぼちゃの煮付けだったのを思い出した。

深夜バスで早朝に品川につき、電車を乗り継いで新居のアパートへ着くと、家具が入る前の部屋にバルサンを焚いた。バルサンが終わるまでの間は外に出て、金物屋でアルミ鍋を買った。その鍋でかぼちゃを煮たわけだが、なんであの日の私は引越し初日にいきなりかぼちゃを煮ようと思ったんだろう。

一人暮らしと同時に、わりといきなり料理ができていたように思う。母は働きに出ていて一人っ子だったので、学校から帰った後に適当に何か簡単なものは作って食べていたから、案外調理の基礎は身についていたのかな。

東京で過ごす最初の夜、母親に電話で煮物を作ったことを報告したら「え、かぼちゃの煮付けなんか作れたの!?」とびっくりされて、確かに煮付けなんか作れたんだなと改めて気づいた。実家では料理を手伝うことはほとんどなかった。スマホもない時代、「砂糖と醤油で煮ればいい」と味付けを覚えていたから煮付けをチョイスしたのかも。作ったことがないので、柔らかくて美味しい状態になるにはわりと時間がかかることすら頭に浮かばず「面倒臭い」とも思わなかったんだろう。それからかぼちゃを甘辛く煮たものを作った記憶が一切ない。もしかして、あの夜以来のかぼちゃの煮付け(今日のは煮っ転がしだけど)かなと考えたらちょっとしんみりした。

あれから15年、私はまだかろうじて東京にしがみついている。


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