見えなくなることより価値があったこと
3年前の2017年にキューバに行った。
その時のことを少し書こうと思う。
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ことの発端は、仲間のだれかからかキューバに「Best 5.10 in the world!」と評されるルートがあるらしいと聞き、そのことを気の置けない友人と居酒屋で飲んでる時に「いつか行きたいんだよ~」とぼやいたら、
「行こうよ!」
「行こうか?ほんとうに行っちゃおうか??」
「行こうぜ!」と、もうそれは勢いで決まったものだった。
いつか行けたらいいなと思っていたけど、キューバ行きが実現できるとは1ミリも思っていなかった。
国立公園での石灰岩クライミングはもちろん、どんどんアメリカナイズされる前のキューバには「行くなら今」がちりばめられていた。行ってよかった。
そりゃぁ、目が見えなくなったことでのないものねだりは数えたらきりがない。
以前は、旅に出れば全部自分で予定を立て車を運転し、トラブルやハプニングをどうにかすることも楽しんできた。
それが今は素晴らしい自然が作り出すダイナミックな景色や人間が織りなす街並みや風景・・・
ぜんぶ見えていたらなぁ、って思うけど、でもその現地にいるからこそ感じられることやできる経験は数知れない。
そんな経験を一緒に過ごせる仲間だって、その旅を見えていた昔とは違う形でたくさんの言葉で自分に新しい視点での気づきをもたらしてくれる。
旅は日本国内海外問わず自分の人生にとって、とっても大切なもの。
中でも海外は大学生の時にアルバイトしまくってためたお金でアメリカやオーストラリアに出かけて以来、出張も含め毎年2回以上必ず出かけ続けてきた。。
初めて海外に出てから28年。
その時日本に帰ってきてから一つ気づいたことがある。
時差ボケを感じている間、目の前がずっと天気のいい日に、キラキラ眩しい水面を見ているような感じがしていた。
ところが、時差ボケがおさまり、そのキラキラが落ち着いたと思ったら、それまで見えていた、明るいライトや夜明けの光にもほとんど気づけなくなっていた。
ただ、以前より見えなくなったことに気づいたことによる心のダメージは、今回に関しては、あまりなかった。
それは、もし海外に行ったから余計に進行したのだとしても、結果として得られた価値が計り知れないからだろうなぁ。
見えなくなることより、人生に彩りや価値をもたらしてくれる経験ってものがある。
私にとっては旅がそれで、今回改めて自分にとって大切なものだと気づかされた。
だからきっとこれからも旅を続ける。
それは、ひとりの人として瑞々しくあり続けたいから、じゃないかなぁ。
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