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私と農業の出会い その①

私が何故農業に関わるようになったか、

色々なエピソードがありますので、

この自粛タイムを機会にまとめていきたいと思います。


<私と農業の出会い>

私は北海道の農業大国

十勝、帯広で生まれ育ちました。

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食料自給率1200%。畑作が盛んで、小麦、豆、てんさい、馬鈴薯の畑作4品、飼料作物で、前作付け面積の8割以上を占めています。一軒の農家さんの平均面積、45ha。

なまら大規模です。

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もちろん酪農も盛んです。

そんな、豊富な素材を生かした地元企業も多くあります。


全国に流通している、牛乳やバターの卸企業、四つ葉乳業や、最近東京にも進出した100%十勝の小麦や乳製品を使った満寿屋パン、空港のお土産でよく見る六花亭や柳月。

地元の素材が豊富だからこそ、商品の価格もお手頃。安心安全な食が身近にある。

そのような環境で、私は生まれ育ちました。

<農も野菜も嫌いだった>

そんなところで育ちましたが、思い起こせば、高校卒業し、学校を出るまではあまり十勝は好きではありませんでした。

家族でドライブに出かけても、畑ばかりで何もない。田舎にいくと、堆肥の匂いがして臭い。

年を重ねる毎にその想いは強くなり

早く都会に出て色々勉強して活躍したい。そんなことばかり考えていました。


また、父方のお爺ちゃんが北海道の鷹栖町という地域で、稲作をしていました。3haくらいの畑で、北海道にしてはとっても小規模です。

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ちなみにここです↑

父から、幼少期の話を聞き、やはり経済的にもなかなか厳しく、重労働という話を聞き

農業=貧乏 というイメージが子供の頃から植えつけられていました。

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幼少期、鷹栖の父の実家に帰り畑に連れられるも、ふてくされてつまらなさそうにする私、、、。

子供の頃じいちゃんが時々家に野菜等送ってきてくれるのですが、それもほとんど食べませんでした。

不揃いで、泥がついていて、なんか嫌だ。

野菜ダサい。。。なんでじいちゃんこんなもの送ってくるんだろう?

折角送ってくれた野菜に対しても、そんなことを思っていました。涙 

デザインが良いファストフードや、手頃なレトルトのものばかり好んで食べていました。

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私にとって農業は生まれたときから身近にあり、当たり前にあるものでした。

にもかかわらず、私の中では一番遠ざけたい存在。

田舎はなにもないし、農業は儲からないし、とにかくダサくて、高齢者がやるものという印象があり、イメージが悪すぎました。

田舎や農業に夢は抱けない

都会にこそ夢を叶える場所


そんな風に幼少期ー学校卒業までは感じていました。


つづく。



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