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この瞬間を生きてちゃだめですか

「研究計画書を提出してください」
 
先週、大学院の入学手続きの際言われた。大学院の授業料免除の奨学金をもらうためには必要な書類らしい。この書類を書くのに1週間程度悩んでいるが未だに書けない。研究計画が何かわからない。学ぶことそのものがおもしろいという理由だけで大学院に進学したらだめなんだろうか。


 
思えば今まで計画を立てるということを求められることがたびたびあった。中学校の時、夏休みの宿題を配られたのと同時に学習計画書みたいなものも配られた。そこに、各々の好きなように宿題のペース配分を書いていく。私もみんなにならってこの日は数学を2ページ、この日は国語を1ページみたいに書いた。いざ夏休みを迎えると2日くらいは計画通りに行く。1週間を過ぎた当たりくらいに計画書を見返すと全然達成出来ていない。それで、計画通りにするのをやめて夏休みの終わり3日くらいで終わらす。これが私の夏休み。私はそのことに対してなんとも思っていなかった。だって、宿題よりも他にやりたいことがあったから。単に計画通りにやらなかっただけ。自分もやろうと思えば出来るはず、ただやらないだけなんだ、と思い込んでいた。誰だってこの世に生まれたからには何か成し遂げられる。そのために計画通りやるなんて出来ないはずないだろう。あのころの私は根拠のない全能感を盾に生きていた。
 
成長して行くにつれて私を守ってきた盾は壊されていった。完全に破壊されたのは大学生の時だった。そのとき、本気で英語を学ぼうと思い英語の勉強法をインターネットで調べた。それには、とにかく継続が大事だとわかった。その日から毎日出来る学習計画を立てた。今回はあのときとは違う。だって、私は心から英語を話せるようになりたかったから。そう言い聞かせ英語学習を始めた。1週間目は計画通りに出来た。2週間目が終わろうとしたとき、大学の課題に追われて寝落ちしてしまった。起きたときには日をまたいでおり、継続が途絶えた。終わったと思った。私が約2週間をかけて築いてきたものが音を立てて崩れていくのがわかった。それからいろいろな理由を付けてやらない日が増えていき、気づけば英語学習をやめていた。
 
それに気づいたとき結局、自分は計画通りに行動することさえ出来ないちっぽけな人間なんだなと思った。だから、自分に期待することをやめた。自分は計画通りに生きられない人間、そう自分に言い聞かせた。だって、期待を裏切られたときの落差がすごく辛かったから。出来ると思っていて出来ないと認めないといけないことが苦しかったから。それが、自分で自分を傷つけないための方法だった。
 
計画通りに生きていくことを諦めたのに、いつまでも私に計画を求めてくる。企業のインターンに行きたくて、大学のキャリアセンターを訪れたときも
 
「あなたのライフプランは?」
 
「この企業でどのようなキャリアプランを考えているの?」
 
「10年後はどのような人間になっていたいの?」
 
と聞かれる。そんなに、計画が大事なんだろうか。この業界がおもしろそうでこの企業が私の一番やりたいことができそうという理由じゃだめなんだろうか。ましてや10年後なんてわからない。いまはこれに興味あるが、10年後には違うことに興味があるかもしれない。
 
いまを楽しんで生きていたらだめなんだろうか。将来の楽しみのために今を犠牲にしないといけないのだろうか。私はこの瞬間を大切に生きていきたい。今楽しいと思うもの、今おもしろいと思うもの、今興味あるもの、に全力を注ぎたい。だって、人生はこの一瞬の積み重ねだから。
 
当たり前の日常を過ごしていたワニや、当たり前のように笑いを届けてくれていたコメディアンが教えてくれたように人生の終わりはいつ来るのかわからない。ましてや未知のウイルスが世界中の人々を恐怖に陥れることを誰が予想できたか。

未来は自分の想像を超える出来事であふれている。だから私は私の人生を悔いの無いものにするために、この今、この瞬間を全力で生きていきたい。

2020.04.08

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