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10.趣味の話③ 読書(1)

はじめに

はい、こぼば野史です。タイトル写真は東洋文庫ミュージアムのTwitterから。

既に今回のnote、何回目の投稿だっけ、となっている今日この頃です。

今回もまた趣味の話。ですがちょうど先ほど、とある図書を読み終えたので、そのお話をしようかと。

邦ロックの話も追々していくはずです。

第1章 宮崎市定『科挙 中国の試験地獄』中央公論新社、1963年

本日、読了したのは、見出しに書いた通りこの新書、宮崎市定先生の『科挙 中国の試験地獄』です。200頁ほどなので、そんなに時間はかからずに読めるのではないでしょうか。

新書はあまり読む人が少ない。歴史などの人文科学系統になるとなおさらですかね。ビジネス書だったら読む人がいそうだけれど。

なぜ、この図書を手に取ったのか、それは単に「中国の歴史が好きだから」です。まあ、あと1つ、日本の歴史学的な理由もありますが。この歴史学的な理由について、章を変えて話しましょう。

第2章 宮崎市定とは

『科挙 中国の試験地獄』の最後に著者紹介があるので、引用すると、

1901年(明治34年)に生まる。1925年、京都大学文学部史学科卒。京都大学名誉教授。1960~61年パリ大学、1961~62年ハーバード大学客員教授。専攻、中国の社会、経済、制度史。1995年5月、逝去。
著書
『雍正帝』(岩波新書)
『九品官人法の研究』(東洋史研究叢刊Ⅰ)
『アジア史研究』Ⅰ~Ⅴ(東洋史研究叢刊Ⅳ)
『世界の歴史』6(中央公論社版、共著)
『水滸伝』(中公文庫)
『中国に学ぶ』(中公文庫)
『アジア史概説』(中公文庫)
『隋の煬帝』(中公文庫)
『大唐帝国』(中公文庫)
『アジア史論考』上中下(朝日新聞社)
『論語の新研究』(岩波書店)
『遊心譜』(中央公論新社)
『宮崎市定全集』(全24巻・別巻1巻、岩波書店)

宮崎先生は戦後日本の東洋史を牽引した存在です。おそらく、現代の東洋史学者、または歴史学者は誰も頭が上がらない存在でしょう。それほどに偉大過ぎる方なのです。東洋史のみならず、西洋史も研究なされていたようです。

さらに知りたい方がいれば、CiNii Articlesで探してみて下さい。検索に「宮崎市定」と入れれば多大な量の論文が出てきます。

しかし、現在、東洋史を学んでいる人間からすると、一般向けな著書からはあまり読み取れない、宮崎先生の思想(というか主張)があります。
『科挙』でも随所に書かれてはいますが、それは「時代区分論争」の引き金にもなった「唐宋変革論」というものです。上記引用中の図書『九品官人法の研究』ではかなり詳細に語られているみたいです。絶版されてしまっていますが(私は某フリマサイトで購入したため持っていますが、まだ読んでいません。なにせ600頁以上ある大著なので)。

この唐宋変革論について語っても良いのですが、ほぼ確実に稚拙な話になるので割愛。あまりオススメはしませんが、Wikipediaには出ています。歴史学の人間は諸事情があって、Wikipediaを好まない傾向があるので、どういう風に検索すればよいかも言いません。ご了承ください。

第3章 図書で語られている歴史上の人物

まず、「科挙」とはどういうものであるか、高校世界史の用語集を引用しましょう。

科挙《隋》科目試験による官僚登用制度。官僚の選抜試験として、文帝(楊堅)が598年に開始した。貴族制度と門閥偏重の打破を目指したが、隋・唐では不徹底だった。宋代に確立され、元代に一時停止されたが、清朝末の1905年に廃止されるまで続いた。(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』2014年、山川出版社)
科挙《唐》科目試験による官僚登用制度。隋の制度を継承したうえ、唐は科目として進士科のほか秀才・明経などの諸科を設けた。試験は3段階で、地方の予備試験、上京して礼部の試験、さらに吏部の試験に合格して、任用された。(同上)
科挙《宋》宋で完成された官吏任用試験制度。宋代に3年に1回の実施となり、また州試・省試・殿試の3段階制を確立した。(同上)
科挙《元》元は中央政府の首脳部をモンゴル人が独占したことから、当初科挙を一時停止した。第4代皇帝仁宗の1314年に復活したが、合格者枠で漢人や南人が不利であった。(同上)
科挙《清》隋以後の中国歴代王朝えおこなわれた官吏登用制度。清では明代の制度を継承したが、受験者の増加とともに複雑化・形骸化が進んだ。近代化が求められた清末には存在意義を失い、1905年に廃止された。(同上)

端的に言ってしまうと、官吏登用制度です。日本的に言うと、学力試験のある選挙、みたいな感じでしょうか。

そして、この科挙、世界史で有名な人物が合格したりしなかったりしているのです。私が驚いたのは、
・黄巣(唐末の黄巣の乱の首謀者)
・王安石(宋代の政治改革者)
・王華(明代の大思想家、王陽明の父)
・趙翼(正史を評した歴史書『廿二史箚記』が有名)
・洪秀全(清末の太平天国の乱の首謀者)
と名だたる人物が科挙に絡んでいる(というか受験している)点です。

この図書の副題にもある通り「中国の試験地獄」なので、相当な肉体と精神を要さねば、合格はできません。そこら辺は、自らでお読みください。

終わりに(と読むべき人)

本当は読書の話をしようとしましたが、中国史の話、宮崎先生の話、科挙の話になってしまいました。
まあ、これも一興でしょうか。

科挙、長らく中国の政治・社会・経済を支えてきた制度です。東アジア圏で中国がトップに君臨していた所以になった1つの理由とも言えると、宮崎先生も図書の中で言及されておられます。

また、ヨーロッパの歴史とも比較していて、宮崎先生の見識の深さを伺えます。

さらに、面白いことに、「まえがき」「序論」「後序」では、現在(と言っても発刊当時の1960年代)の日本の教育制度と比較している箇所もあり、そこでは日本の教育制度の欠点や皮肉を言っておられ、割と爽快です。

個人的には、
・中国の歴史を深掘りしたい
・政治史はほとんど頭に入ったので、社会史を勉強したい
という人にはオススメです。

このところ、歴史の話が多いですね。なんでだろうか。せっかく東京オリンピックもやっているのに。

今回はこのへんで。頓首頓首。

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