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ケイコ 目を澄ませて

結局、最後は腕力。
ヒーローとヴィランの知力を絞った戦いも最後は拳で決着。
未だにハリウッド映画ではよくみる。いやハリウッドだけではない、日本の少年漫画はほぼそういう話だ。
どちらの腕力が上なのか。
友情、努力、そしてその先にある勝利。

勝利の先にあるのは一方の負け。

敗者を作る原理が世の中の一部を動かしている。

「ケイコ 目を澄ませて」は三宅唱監督による聴覚に障害のある女性の暮らしとボクシングとの関わりを軸にした、彼女の住む街が主役となった物語。

この映画の主役は荒川という街そのものだ。

だから、この物語は聴覚障害のある女性の暮らしとボクシングが軸となってはいるが勝ち負けや、戦いの論理とはあまり関係のない物語になっている。

拳で戦う理由のない現代。
当然、彼女にも拳で戦う理由はない。
だが彼女はボクシングに縋っている。
ボクシングをすることで街と、人と繋がるからだ。

そして戦う理由がないから辞められない。

様々なことを諦めてきたであろうケイコにかかる期待。それに縋るようにケイコはボクシングを続けている。

映画では音を聞くことのできないケイコの世界を体験するように街の音だけが聞こえ、音楽は鳴らない。
街中にいると音楽を聴く機会は意外と多い。

コンビニ、商店街、地下街、街中。
閉鎖された場所以外でも様々な場所で音楽が鳴っている。

この映画で聞こえるのはジムでのサンドバッグを殴る音や縄跳び、街の雑踏、車や電車が過ぎていく音。むしろ音自体はたくさん鳴ってはいるがとても静かな印象を映画全体からは感じる。
音楽に頼らない演出。勇気のいることだ。

街中をケイコが移動するのはバスか歩き。

映画の中には通過する電車がよく登場する。
遠くに行くことのできない彼女の心象を表現するかのように、彼女が電車に乗ることはない。

ケイコの感情が露わになっていく物語の終盤。
その展開と登場人物たちの感情の表現による演出、構成が見事で本当に素晴らしかった。

戦う理由のない現代に自らをリングに向かわせる、奮い立たせるものは何なのか。
つまり、あなたはなぜ生きるのか、どこにいくのか。
それを問われているような映画だ。

勝っても負けても途切れなく人生は続く。
負けた理由を探すより、次の一歩を踏み出す決断を後押しする優しいラストシーン。

この映画には敗者はいない。
才能や勝利ばかりがもてはやされる現代に違和感を感じる人たちへの人間讃歌。
すごい映画だ。

最後に、歩くシーンが多い映画はいい映画だと思っている。この映画は歩いているシーンがとても多い。三分の一ぐらい歩いているシーンじゃないか(もうちょい少ないか)
理由はわからないが歩くという当たり前のことが共感を呼び起こし、映画にリズムを生むからだろうか。

#ケイコ目を澄ませて
#岸井ゆきの
#三浦友和  ←さすがでした。凄い!
#三宅唱
#ボクシング
#荒川


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