KOBAhiro
映画と向き合うとは この映画を最初見た時は宮崎駿が自分自身の走馬灯をフィルムに焼き付けようと試みた映画だと思った。 ぶつ切りのような物語、今までの自身の映画へのオマージュ、記号のように散りばめられた絵画やモチーフ。 宮崎さんはもう冒険活劇のような観客が求める、わかりやすく、新しい物語を作ることには興味がないんだと思った。 しかし鑑賞からしばらく時が経ち、その考えは変わらないながらも、もっと違うレイヤーでこの映画は作られていると思うようになった。 私のイメージする宮崎駿は
このドラマで描かれているのは日本という国家そのものだ。 正義も悪も曖昧になった現代、だれかが何かを判断をするときのほとんどの軸は、お金や利権でしかない。 身の丈以上の金銭的資本を溜め込み、欲を満たすための言動や行動が、次の欲望を生み出す。 果てることを知らない欲望。 それが人間の姿だ。 構想から実現まで エルピスは構想から実際に制作されるまでに、 実に6年の時を経なければならなかったと聞く。 6年。 短い時ではない。 6年の間、日本はまったく変わらないどころか滑降す
この物語は後に世界一のサックスプレイヤーになる日本人、宮本大の物語。 といっても現実の話ではないし、現在原作漫画は連載中のため、そうなるかは誰も知らない。 だが、この映画を見た人は、きっと彼の将来はそうなるのだろうと予感する。 伝説になる 3.11東日本大震災。 地震の中、制作すれば伝説になる、気概を見せろ。 というようなことを宮崎駿はスタッフに向かって話していた。 言ってる事は無茶苦茶だが、尋常でないものが伝説になる。きっとそれは間違いない。 主人公の宮本大は高校
適当な感想から始まる よく調べずに書いているので適当に読んでほしい。 この映画は、ミシェル・ヨーのために作られた映画だと見終わって思った。 ミシェル・ヨーの役者としてのキャリアがそのものがストーリーとリンクし、エブリン(役名)のキャラクターを形作っている。 きっと監督は脚本を書く際に、ミシェル・ヨーのプロフィールを熟読して内容を考えたに違いない。 映画ファンであれば、この映画の楽しさは理解できると思う。 全部は分からないが、元ネタにした映画はかなりの本数となるのではない
結局、最後は腕力。 ヒーローとヴィランの知力を絞った戦いも最後は拳で決着。 未だにハリウッド映画ではよくみる。いやハリウッドだけではない、日本の少年漫画はほぼそういう話だ。 どちらの腕力が上なのか。 友情、努力、そしてその先にある勝利。 勝利の先にあるのは一方の負け。 敗者を作る原理が世の中の一部を動かしている。 「ケイコ 目を澄ませて」は三宅唱監督による聴覚に障害のある女性の暮らしとボクシングとの関わりを軸にした、彼女の住む街が主役となった物語。 この映画の主役は荒
少し前に見た映画 「ある男」 継続的な「私」という存在は本当に存在するのか。 自分が認識する自分、他者が認識する自分。 その違いは確認しようがなく、他者の数だけ「私」は存在する。 誰にでもあるのではないだろうか「あなたらしくない」と言われたこと。 それはあなたの意見ですよねと言いたくなるセリフだが他者の中にも私が存在する証左ともいえる言葉ではないか。 平野啓一郎さんが考案した分人主義をミステリーをベースとしつつ表現するとこのような話になるという物語が「ある男」の骨格だ。
これぞハリウッド映画の玉座に在る映画。 前作から36年の時の経てリブートされた本作。続編というよりは前後編ともいうべき前作とのつながりが濃く見応えたっぷり。 全編トニー・スコットへのリスペクトに満ちてて、前作を知っていると、なお楽しめるのは間違いないが、干支でいえば三回りもしてる、この物語に違和感なく入り込めるのはトム・クルーズが主演を張っているからに違いない。 普通こういう物語はバトンを渡すことが山になるものだが60手前にして(だからこそ)ジェニファー・コネリーとの落
「選ばれてあることの恍惚と不安の二つ我に在り」 何かを作ることに真剣に向き合ったことのある人間であれば、この感覚は言葉を超えて理解できるのではないだろうか。 思考を重ねた求める者だけに閃き、辿り着く、降りてくる。 アイデアという形のない偶像。 そんな感覚の先には誰にも恍惚と不安がある。 この考えで良いのか、間違っていないか、社会にとって必要な考えか、行いか。 自分の中の正しさと違和感の間を行き来しながら「作るという行い」は形になっていく。 形にする理由は一つ。 誰でも
作ること。 その行為には目的や理由がある、 ナイフを作ったのは何かを切るためだし。 服を作ったのは防寒や、日除けのためだろう。 物語を作るのは、自分のためか、誰かのためか。 生きるためか。 人それぞれ目的は違うと思うが作ることにはきっと理由がある。 この作品の目的はなにか。 それは25年間の呪いを解くことに他ならない。 その呪いは誰のものか。 新世紀エヴァンゲリオンがテレビで放送されたのは1995年10月から1996年3月。 わたしは14歳だった。 洗礼。と
河瀬直美と西川美和は僕にとっては怖い人。怖い作家だ。 これでもかと人間の弱さ、怖さ、脆さを一貫してノンフィクション、フィクションで作っている作家。 その作品に触れると、否応なしに自分のそれらと向き合うことになる。 河瀬直美のドキュメンタリーを見た時に、ある一言で自分がわからなくなったことがある。(内容は忘れた) それ以来、河瀬直美の言葉とはあまり正面から向き合わないようにしている。怖いから。 西川美和も同じで「ゆれる」から一貫して悲喜劇をベースに地獄の底
◽️マンダロリアン スターウォーズ版子連れ狼 Disney×marvel×star warsの多様な才能がジョン・ファブローの元に集まって作られたすごいドラマ。 各話の監督のメンツがすごすぎ。 大好きなアントマンの監督ペイトン・リードや、ソーの監督タイカ・ワイティティも意外と(?)ハードボイルドな演出で物語を盛り上げる。ロッキーでアポロを演じたカール・ウェザースなんかも監督しててそんな情報だけで楽しい。 物語は日本の時代劇
クレジットを見るとほとんどのスタッフが中国人。 何人かは海外の人がもしかするといるかもだけど、これほど国産の純度の高い作品は現代では稀ではないか。 しかし純国産と言いながらも(言ってないか)我々のようなサブカルチャーにまみれた者には初見でもどこか懐かしく馴染みのある世界観、絵、キャラクター、登場人物の生い立ち。 日本がー和製アニメがーと言うつもりではなくて、ディズニーが広めた「アニメーション」と言う表現手法が地球に生きる者にとって作る価値のあるものであり、人生を賭け、情熱
1979年生まれの僕らが思春期を迎え、さぁ自分たちだけの音楽を探すんだって15歳とか、16歳の時に、気づけば尾崎豊はもう死んでるし、ブルーハーツはとっくに有名で解散目前だったし、そんな時代に自分だけのミュージシャンを探して知ったのがエレファントカシマシだった。 当時、エレファントカシマシは「悲しみの果て」を出したばっかりで、その曲がエレカシとの出会いの曲でした。 それから過去の曲も聴くようになって、宮本さんの地の底から見上げるような歌声に衝撃を受けつつ、そのわがままな
今年1番の話題作になった「鬼滅の刃」。 無限列車編は原作の7巻から8巻の映画化。この一巻に満たない話を映画版では、これでもかってほど丁寧に描いている。 始まり方がすごく良くて、お館様こと産屋敷輝哉と奥方が墓場を歩いている。 鬼と戦い、亡くなった鬼殺隊の名前を1人ずつ唱えながら。 本筋ではないが物語に深みを与えるエピソード。原作をただなぞるだけではなく、映画は映画の深みを持たせようとするスタッフの矜持が伝わってくるいいシーン。 映画はアニメ版の最終話である26話の続きから始
監督のグレタ・ガーウィングは幼い時から脚本を書いては家族と演じていたそう。 マリッジストーリーのノア・バームバックと共同で書いたりすごい夫婦。二人とも好きな作家だし、監督。役者としてもかっこいい。 演出だけじゃなくてキャストも素晴らしくてシアーシャ・ローナンはうまいだけじゃなくて主役としてのスター性があって目が離せなくなるし、エマ・ワトソンも姉妹、家族、出てくる役者みんないいけど特にフローレンス・ピューがすごい! 前からすごいと思ってたけど、この時代の不自由と自由といった
立て続けに韓国ドラマをみてます。 梨泰院クラスの次に、この流れで見てる人多いと思いますが「愛の不時着」。 2000年代最高のドラマなんじゃないかなってほど面白かったです。 物語のベースはロミオとジュリエットや、織姫と彦星みたいな障害のある恋ですが、その間を38度線にしたことで現代での障害のある恋にリアリティのある設定に成功してて、その障害を超えるために努力をしている2人を見てると思わず応援したくなるほど主人公の2人が魅力的。 恋愛だけじゃなくて様々な愛情の描き方に共感しま