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Everything Everywhere All at Once

適当な感想から始まる

よく調べずに書いているので適当に読んでほしい。

この映画は、ミシェル・ヨーのために作られた映画だと見終わって思った。
ミシェル・ヨーの役者としてのキャリアがそのものがストーリーとリンクし、エブリン(役名)のキャラクターを形作っている。
きっと監督は脚本を書く際に、ミシェル・ヨーのプロフィールを熟読して内容を考えたに違いない。

映画ファンであれば、この映画の楽しさは理解できると思う。
全部は分からないが、元ネタにした映画はかなりの本数となるのではないか。
私がわかっただけでも、グリーン・ディスティニー、花様年華、レミーのおいしいレストラン、スター・ウォーズ、フランス映画(アメリ?)、キル・ビル、グーニーズ、老人Z?等々。
中でも日本のアニメが元ネタになっているものは多くあったように思うがクリエイターへの「影響」という点でそのあたりは、世代的にはもはや、当たり前なのだろう。

模倣とは

ジェームズ・W・ヤングは「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と言い切っているが、新しいものはいつもなにかの模倣から生まれる。
思い出してほしい、あなたが好きな音楽、映画、漫画はなにかに似ていないだろうか。

模倣から生まれる新規性、イノベーション

それらが、この映画からは匂い立っている。

本作の監督・脚本は35歳のダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの2人「ダニエルズ」。二人は大学で知り合った。

監督について

私も経験があるが、きっとオタク同士気が合いまくったのだろう。そういう息の合い方をこの映画からは感じる。きっと打ち合わせは早く口でまくし立てているに違いない。

前作のスイス・アーミー・マンも未視聴ながら、通底したバカバカしさと社会へのシニカルさを感じる。(見てみます)

バカバカしさとシニカルさで思い出されるのは私の世代ではクエンティン・タランティーノだ。

我々コピー世代の90年代の最先端が彼だった。
過去の映画や音楽をDJのようにミックスして、過去の俳優さえも彼の映画で息を吹き返した。
タランティーノが行ったことは、映画に生かされた恩返しだと個人的には思っている。もちろん「仕事」であったことに違いないが、彼にとっては映画しか社会と繋がる方法がなく、映画があったからギリギリ社会に残っていられた。(つまりあの事件の当事者ではあるが、永遠の子どもである彼には荷が重い事件だったということだ)

ダニエルズも多かれ少なかれ同じではないだろうか。ただ大きく状況が違うのはタランティーノにはレンタルビデオしかなかったが、インターネットが今はあるということだ。
日常的に映像は何万テラバイト毎日生み出され、ネットの海を漂っている。

愛とは

その海を漂いながら、彼らは自分たちが愛するものを探し、彷徨っている。なにかしら愛するものや、ことに出会えることは幸運なことだが、ただ運の問題ではない。愛するものに出会うためには準備が必要だ。

それは自分の中に愛をためておくこと。
つまり好きなものを見つけ、それらを愛でる心を持っていれば、いずれ自分以外の誰かや、ことを通して、本物の愛を知ることができるようになる。

この映画はダニエルズが好きなものの蓄積で作られている。
面白いものを作るロジックはもちろんあるのだろうが、過去の自分たちが好きなもの、きっと昔の自分も気に入ってくれる映画を作る、そんな初期衝動のような動機がこの映画の熱量となって観客に伝わるのではないか。

主演のミシェル・ヨーの人生そのものがこの映画に反映されていると前述したが、彼女が歩まなかった人生がエブリンの人生そのものだ。
誰でも一つの選択を違えれば、どのような人生になるかわからない、右に進めば成功するかも知れない、左に行けば不幸になるかもしれない。だが選択しないとその結果はない。

生きることとはすなわち選択することだ。
いつでも、どこでも全ての可能性から一つ選ぶこと。

それが生きるということ。

つまりマルチバースでのバトル映画の外殻を借りながら、この映画は後悔のない選択をしよう。そのために愛を信じようと伝えている。
All You Need Is Love

役者たちについて

個人的にはキー・ホイ・クァンがもうめちゃくちゃ良くて、それだけでもぜひ見てほしい。
グーニーズのチャンのギミックは子どものときに作りたくて真似したものです。腰回りの道具といえばキー・ホイ・クァン=チャンだよね!って映画をみて思いました。入れ歯は飛ばないけど。

最近のハリウッド大作はCGが見分けがつかず、服までも合成だったりするので、過去のシーンを演じるときは顔だけCGで若がらせたりするものだが、この映画はそのなことお構いなしというか、予算がなかったのか過去のシーンも役者たちが特殊メイクもCGもなしで演技力で乗り切ろうとしていて、めちゃくちゃそこがよいです。役者を信じて舵をとることも監督の仕事だよね。

昨今の映画では禁止されているようなことも、チャレンジというか、もりだくさんに入ってて、俺たちが面白いと思うことはこういうことで、理解してくれますよねって言われているようで感動しました。

あと、ウォン・カーウァイの花様年華っぽいシーンの意味があるのかないのかわからない会話がめちゃウォン・カーウァイぽくて楽しかった。

私が好きな監督

最後に、これは私の感想なので、本当のところはわからないけど、今敏監督のパプリカや千年女優がこの映画の芯になっているような気がして、とっても感動しました。今敏監督がこの世を去ってはや12年です。
千年女優をもう一度見たくなりました。

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