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芥川龍之介の『手紙』をどう読むか② クロポトキンの『相互扶助論』とは?

 


 何かできごとがあったとして、それを誰かに話すか話さないかと判断しない人は頭がおかしい。例えば夕ご飯のための買い物をしている夫婦がGの話をしていたら頭がおかしい。手紙も同じだ。手紙で近況報告をするとして、何でも書いていいわけではない。「赤あかと額の禿げ上った」という文言を禿に送ってはならない。身内にピストル自殺をしたものがあるものにピストル自殺した人の話を書き送ってはならない。そこに取捨選択がなければ、やはり頭がおかしい。

 勿論ここには「本当のことは言ってはいけない」という別のルールも重ねられる。禿の人は禿げている。それは事実として事実だからこそ禿と言ってはいけないのだ。他人の入れ墨からあるメッセージが読み取れたとして、それを口に出すか出さないかはよく考えた方がいい。「日々の思いを書き綴ります」系の人は、本当にそんなことを書くべきなのかよく考えた方がいい。それは禿にただ禿と言っているだけではないのか、デブにただデブと言っているだけではないのかと。

 これはnoteでも同じだ。「ウェルスナビは利確すべし」と書いた直ぐ後で、「六百番歌合せ勝敗表エクセル」を貼り付けてはいけない。

 あるいは「擬古文のための僞古語メモ」の後に、「酒井太郎先生へ 便器株主の公開質問状」を書いてはいけない。

 そんなものを立て続けに読めば「批評と誤読」と「創作世界の発見」を続けて読むくらい混乱してしまうに違いない。

 同じ「文字を読む」という行為においてもその文章の対象や種類によって読み方のモードというかコードというか、通信プロトコルのようなものがあるものだ。たとえば「酒井太郎先生へ 便器株主の公開質問状」に関して言えば「通信の相手」というものが名指しで規定されていて、その内容は「株主提案」という会社法の決め事に関する内容であり、会社法に関心のない人にはほぼ意味の解らない内容になっている。

 手紙というものは基本的に一対一の通信であり、そこで伝達されるのはその相手に伝えたいこと、その内容になる筈である。
 しかし芥川はその手紙の中に不意にクロポトキンを持ち出してみる。

「それは何しろ坊ちゃんですから、……しかしもう一通りのことは心得ていると思いますが。」
 僕はこう云う話の中にふと池の水際に沢蟹の這っているのを見つけました。しかもその沢蟹はもう一匹の沢蟹を、――甲羅の半ば砕けかかったもう一匹の沢蟹をじりじり引きずって行くところなのです。僕はいつかクロポトキンの相互扶助論の中にあった蟹の話を思い出しました。クロポトキンの教えるところによれば、いつも蟹は怪我をした仲間を扶けて行ってやると云うことです。しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我をした仲間を食うためにやっていると云うことです。僕はだんだん石菖のかげに二匹の沢蟹の隠れるのを見ながら、M子さんのお母さんと話していました。が、いつか僕等の話に全然興味を失っていました。

(芥川龍之介『手紙』)

 アナーキストの大杉栄の翻訳した『相互扶助論』は大正十三年に出版されている。「いつも怪我をした仲間を食うためにやっていると」書いた動物学者とは定めし丘浅次郎あたりかと調べてみたが、それらしい記述は見つからなかった。

※何故か「次」が「治」になっている。この動物学者については南方熊楠ではないかという説もある。

 それにしても芥川は、いやこの『手紙』の語り手は、東京で暮らしていて子供が複数人いる誰かに一体何を伝えたいのだろうか?

 蟹は仲間を助けるか食べるか?

 語り手が伝えたいことはともかく伝わることは「ああ、彼は半月以上も温泉宿に長逗留してゆっくり読んだり書いたりするプチブル的生活を過ごしながら、一方ではかつてアナーキストの翻訳したクロポトキンなんぞ読んでいたんだな。もしかして彼も無政府主義者なのか?」という情報なのではなかろうか。

 例えばこの写真からは、お盆も御膳もない不自然さと、この時期に卵を購入できる精神的余裕、そして雑穀米や納豆の葱が用意できる豊かさや、ゴーヤチャンプルのバランスの良い見た目からかなり料理上手であることが匂ってくる。

 ここでも清貧を装いながら、何かが不自然だ。

 この玉子焼きも素人が作ったものとは思えない。質素倹約ではない何ものかが匂わされている。それはこの人の几帳面さや育ちの良さだ。

 芥川の『手紙』において唐突に持ち出されるクロポトキンも一つの匂わせなのだ。S君の身もとを調べる気もちにあるM子の母親に対して「もう一通りのことは心得ていると思いますが」と告げる「僕」は、その言葉で一体何を手紙の読み手に伝えんとしているのか。その「僕」の意図そのものは分からない。しかし伝わってくるのは援護するのか揶揄うのか足を引っ張るのか解らない蟹のようなふるまいだ。「一通りのこと」とはこの場合、あっちの方のことを意味しているのだろう。

 しかしSという男もまた毛虫を手でつかむことができるのだ。

 もしこの手紙が晩飯前に読まれたとしたら、毛虫だ蛇だと何だか気持ちの悪いものを書いてくるなと嫌な顔をされただろう。

 あるいは芥川の自殺の秘密を嗅ぎつけようとしてこの『手紙』を読む批評家は、その時期が初秋であったりする点や、『歯車』と比べて随分落ち着いている様子であることなどの目くらましに戸惑うばかりであろう。そのトーンは『闇中問答』や『或阿呆の一生』などとは全く異なり、のどかと言えばのどか、とても自殺間際の精神異常者の告白とは思えない雰囲気なのだ。

 しかし書かれている事どもの中にはおかしなことが溢れている。そのおかしなことどもを直截にではなく、さも平然として書きつらねているのが
『三つの窓』であり、『名千屋』であり、『手紙』なのだ。そこには身辺雑記的私小説を遠ざけ、小説の背後に事実のあるなしはどうでもいいとする自説を貫く頑固さが見える。

 手紙という最も私的な文章を装いながら、『手紙』は飽くまで虚構を貫く。

僕の部屋は二階の隅にあります。僕はこの部屋の隅の机に向かい、午前だけはちゃんと勉強します。午後はトタン屋根に日が当るものですから、その烈しい火照ほてりだけでもとうてい本などは読めません。では何をするかと言えば、K君やS君に来て貰ってトランプや将棊に閑をつぶしたり、組み立て細工の木枕をして(これはここの名産です。)昼寝をしたりするだけです。

(芥川龍之介『手紙』)

 この「僕」は木枕で、昼寝もし、

「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」
「いいえ、……何かあったのですか?」
「あの気の違った男の方がいきなり廊下へ駈け出したりなすったものですから。」
「そんなことがあったんですか?」
「ええ、どこかの銀行の取りつけ騒ぎを新聞でお読みなすったのが始まりなんですって。」

(芥川龍之介『手紙』)

 夜もぐっすり寝られるようだ。『歯車』の主人公とはえらい違いだ。なんとか『歯車』を深刻なものに見せかけ、そこに芥川の苦悩を読み解きたい人々からしたら、この『手紙』などはなんとか「ふーん」と無視したいものではあるのだろう。

 あるいはトタン屋根に焼け死ぬ毛虫の死にフォーカスして、にょろにょろ君の死だと喚き散らすかもしれない。芥川に苦悩がなかったとは言わない。しかしただ苦悩を告白したものが小説であるわけもないのだ。『歯車』が本音で『手紙』が賺しなのではない。

 たとえば「僕」はまるで一人旅のようだ。書かれている範囲で女の連れはいない。そのことを私は「ふーん」と読む。昼間寝て、夜寝つきの良いことも「ふーん」と読む。勿論「僕」は仕事もしただろう。

 小説は全てのことを説明しきらない。

が、K君はS君のように容易に弱みを見せません。

(芥川龍之介『手紙』)

 こう書かれていてS君がいつどんな弱みを容易に見せてしまったのか、Kがいつどんな形で意地を見せたのかが書かれている場面はない。

 もっともK君を劬りたい気もちの反ってK君にこたえることを惧れているのに違いありません。

(芥川龍之介『手紙』)

 この「K君を劬りたい気もち」の理由も明示的ではない。そこは「ふーん」としないでしっかり覚えておく。「日々の思いを書き綴ります」ではないことはこうしたところを「ふーん」しなければ分かることだ。『手紙』の中にはさして明示的でないK君の失恋があったのかもしれないし、三年後の大暴落ほどではないにせよ、株価暴落があったのかもしれない。

「みんなの帰って来るのは夕がたでしょう?」
 僕はこう言って立ち上りました。同時にまたM子さんのお母さんの顔にある表情を感じました。それはちょっとした驚きと一しょに何か本能的な憎しみを閃めかせている表情です。

(芥川龍之介『手紙』)

 このM子の母の表情にドラマを見るのでなければ、それは『手紙』という小説を読んだことにはならない。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行った。帰りは夕方になる。それに対して本能的な憎しみとはどういうことなのか。それが「K君を劬りたい気もち」とどう繫がるのか、繋がらないのか。

 何故そんなことを手紙に書いているのか。

 そういうところに引っかかるのでなくては『手紙』という小説を読んだことにはならない。

「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」

(芥川龍之介『手紙』)

 おそらくこれは嘘だろう。ここにきて芝居が細かいなと感心しなくては『手紙』という小説を読んだことにはならない。

 例えていうなら、師匠漱石の『行人』の重箱の下りくらい芝居が小さい。抑え過ぎである。

「御母さんは驚いているよ。御彼岸に御萩を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
 自分は何とも返事をしなかった。

(夏目漱石『行人』)

 ここは嫂・直の里(実家)から届けられたと勘違いさせられていた重箱が自分の実家から届いたものだと知らされて、「あれ、あの印半纏は? それに嫂さんはそうは言っていなかったけどどういうつもりなんだろう? あちらでも別にお変りはありませんか? って俺訊いたよね。うん。確かに訊いた。宅って里じゃなかったのか? どういう計算?」と頭の中では様々な言葉がぐるぐる巡っているところを「自分は何とも返事をしなかった。」で止めている場面で、漱石作品の中でも極めて繊細な芝居だと思う。

 この繊細さが「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」に受け継がれていると見てよいだろう。直の魂胆は不明、M子が母に何と言って宿を出たのかも不明。ただし読者は次郎や「僕」に代わってあれこれ考えさせられなければならない。

 これが小説と云うものだ。こんなものが昭和二年六月七日に書かれたとされている事実に驚かなくては嘘だ。

 


[余談]

「海賊らしくもないぜ。さっき温泉に這入に来る時、覗いて見たら、二人共木枕をして、ぐうぐう寝ていたよ」
木枕をして寝られるくらいの頭だから、そら、そこで、その、小手を取られるんだあね」と碌さんは、まだ真似をする。

(夏目漱石『二百十日』)

 木枕に惟然泣く夜の長さかな

 という子規の句がある。(『日光の紅葉』)


 二件の温泉宿のほかにカッフェ一つない山の中とはどこなのか?


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