芥川龍之介が直接的に戦争について書いた作品は『首が落ちた話』と『将軍』のみであると言って良いであろうか。「東西の事」を書いた『手巾』が戦争に関して書いたのではないとしたら、そういう理屈になるのではなかろうか。
しかしこんな残酷な風景はむしろ付け足しである。芥川にとって戦争とは単なるプロットに過ぎない。芥川は『将軍』でも『首が落ちた話』でも戦争を材料にはするが、戦争そのものを云々する意図は見せない。芥川はこんな理屈を言うために『将軍』を書いたのだ。
『首の落ちた話』はまるで滑稽譚である。何小二の首は日本兵に切られた時には落ちず、戦後無頼漢になった後で落ちる。
こう思っていた男が戦後は酒と女で身を持ち崩し無頼漢となる。この人間の「そう単純ではないところ」を言い当てるのが芥川の得意であろう。
あの芥川にして森鴎外が「半信半疑」となり夏目漱石が「これは神聖か罪悪か」と問うところの問題、乃木大将が奥さんを道連れにしたことに関しては気が付いていないようだ。しかし「自殺の前に写真を撮らせた将軍」に対する違和感を指摘する。芥川作品の多くは「逆説」を核としている。そうではないのではないか、普通はそうであるかもしれないが、逆ではないのか、というスタイルが例えば『鼻』には見られる。
この『首の落ちた話』『将軍』もそういうスタイルの作品だと捉えてもよいだろう。乃木大将を簡単に聖人にしてしまわない点においては夏目漱石の『趣味の遺伝』とも共通している。また『首の落ちた話』に関して言えば、生き残った者に必ずしも生き残った者としてのしがらみが起るものではないと指摘しているかのようにも思える。
これではまるで「浩さん」は死んでよかった、残された家族の方が気の毒だと書かれているようでさえある。このなんとも人を馬鹿にしたような書きっぷりは、漱石を「俗中の俗」とみなした太宰治に受け継がれる。
この遭難者は兵隊さんではないかもしれない。しかしこのロジックは見事に兵隊さんに直接振り向けられる。
なんともお気楽な、あっけらかんとした理屈であろうか。ここまで見てきた三人の作家には見事にサバイバーズ・ギルトがない。戦争の谷間に生きた芥川は別として、夏目漱石と太宰治はいずれも「徴兵を免れた者」であり、サバイバーズの定義には当てはまる。それなのにどの作品を見ても、生き残った者の罪の意識というものがまるで感じられない。敢えて言えば夏目漱石『こころ』や太宰治の『ダス・ゲマイネ』や『秋風記』に戦争という色のつかない生き残った者の罪の意識が現れるものの、彼らの戦争に対する意識は殆ど「戦争を知らない子供たち」なみに他人事だ。
このことを考えると私には徴兵逃れで転籍し、戦争など(勝とうが負けようが)早く終われば良いと思いながら『古今和歌集』を読んで過ごしていた三島由紀夫が、過剰とも言えるようなサバイバーズ・ギルトを引き受けたかのように見えることがむしろ不思議に思えてくる。「自分は上手くやった、なんとか生き延びることができた、自分は幸福だった」と素直に喜べなかった理由の一つは、戦前から『文藝文化』を通して関係のあった保田與十郎の変遷と蓮田善明の壮絶な死という二つの両極端を見せられたことにあったことは疑い得ない。しかし私は三島由紀夫にとっては「戦争」や「天皇」であってさえ単なる「季語」でしかないのだったのではないかという疑いを捨てられない。
小説の技巧も数えれば万とあろうが、古来より和歌を詠じてきた日本文学においてその最も重要で根本的なものは何かと問えば、それは「省略法」だと言えるのではなかろうか。言葉は常に場に寄り掛かり、あることを語り、あることを語り残す。短詩型においてはその語り残される領域は果てしなく、少なき言の葉でいかに広く深いものを捉えるかという試みが練り続けられている。饒舌な散文小説において、「省略法」は「場面転換」の役割も受け持つ、時間の流れを断ち切りクロニクルを拒絶する。結果として三島由紀夫の遺作となった『豊饒の海』では第二次世界大戦がすっぱりと省略されている。その意味はさして明確ではない。理屈を言えば三島由紀夫は戦記を語り得るような戦争体験をしていない。だがそれだけではなかろう。調べ上げれば書くことはできた筈だ。だが三島は書かなかった。『豊饒の海』において第二次世界大戦は不要だったのだ。
三島由紀夫は『鏡子の家』でぼんやりとした戦後を書き、大変な不評に落胆した。三島自身は戦時中ではなく、戦後のニ三年が最も暗い時代だったと語る。戦後嬉々として活躍したデカダン三銃士とは大違いで、三島は戦後になってから、戦争が済んでからじわじわと戦争を引き受けたかのように語る。芥川作品の核が逆説ならば、三島作品の核は「大真面目」だろうか。どうにも嘘としか思えないものも三島の「大真面目」の前では信じる人も出てくる。三島は大真面目にこっくりさんをやった。太宰はその未来を「ワザ、ワザ」と冷やかしている。太宰の核は厭味だ。
※夏目漱石の俳句に「生残る吾恥かしや鬢の霜」(明治四十三年)があるがこれは戦争とは関係なかろう。「太刀佩くと夢みて春の晨哉」(明治二十九年)も。