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岩波書店・漱石全集注釈を校正する55 のんべんぐらりん念晴らし、高柳周作は折れべきもの

世の中と自分の関係

「ええ形を変ずるのです。今まではただふわふわ浮いていた。世の中と自分の関係がよくわからないで、のんべんぐらりんに暮らしていたのが、急に自分が明瞭になるんです」

(夏目漱石『野分』)

 岩波はこの「世の中と自分の関係が……」に注解をつけ、北村透谷の恋愛観を紹介している。

北村透谷『厭世詩家と女性』には次のようにある。「恋愛は一たび我を犠牲にすると同時に我れなる「己れ」を写し出す明鏡なり。(中略)双個相合して始めて社界の一分子となり、社界に対する己れをば明らかに見る事を得るなり。

(『定本 漱石全集 第三巻』岩波書店 2017年)

 これは正確には、

世界は一たび我を犠牲にすると同時に我れなる「己れ」を写し出す明鏡なり。(中略)双個相合して始めて社会の一分子となり、社会に対する己れをば明らかに見る事を得るなり。

透谷選集 北村透谷 遺稿||島村抱月 等編新潮社 1914年


透谷選集 北村透谷 遺稿||島村抱月 等編新潮社 1914年


透谷選集 北村透谷 遺稿||島村抱月 等編新潮社 1914年

 つまり「世界」が「恋愛」にすり替えられている。それともどこかに別の版が存在するのだろうか。それにしてもこの引用には珍しく出版社と出版年がない。

 ここはどういう了見か漱石の恋愛論を無理に北村透谷の社会と己との関係論に当て嵌めてしまってはいまいか。悪意があるとは思えないものの、この引用は失敗している。その代わり、白井道也の恋愛観の補足説明としては都合よくでき過ぎている。これが査読論文の一部、参考文献の例示であればどうだろう。都合よくできすぎている分だけ、なかなか言い訳のできないところではなかろうか。

北村透谷集 島崎藤村 編岩波書店 1947年

 全集でもやはり「世界」である。

※この件については後日、詳細をまとめます。


のんべんぐらりん


甲斐志料集成 3 甲斐志料刊行会 編甲斐志料刊行会 1935年

 岩波は「のんべんぐらりん」に関して「ぶらぶら怠けていること。のんべんだらり」と注解する。この「のんべんだらりん」の用例は少なく「のんべんだらり」が多い。

「のんべんだらり」も、東京にては「のんべんぐらり」と云ふ。「貧乏ぶるひ」は「貧乏ゆすり」。古い古いとか、長い長いとか云ふ類の形容の重ね言葉、これも近き頃の輸入なり。

鬼言冗語 岡鬼太郎 著岡倉書房 1935年

 東京語とする資料もある。

鬼言冗語 岡鬼太郎 著岡倉書房 1935年
標準日本文法 松下大三郎 著紀元社 1924年


俗語辞海

 辞書的にはむしろ「のんべんぐらり」が主で「のんべんだらり」が少ない。十返舎一九、黙阿弥に「のんべんぐらり」があり、「のんべんだらり」はない。

Takenobu's Japanese-English dictionary = 武信和英大辭典 武信由太郎 編The Kenkyusha 1918年

 

老婆は何時もならば、唯一言に、「貴女の方の御都がふ〓っがふあたくしはうこ)まツ合は御都合、私の方は爾のんべんだらりと待ちやア居られません。」

新機軸 後藤宙外 著春陽堂 1898年

 この「のんべんだらり」の最も古い資料として1898年、明治三十一年が確認できた。「のんべんぐらり」が江戸語で、次第に「のんべんだらり」にシフトしたと考えるべきであろうか。

念晴らし


「いえ、せっかくですが少々急ぎますから」と客はもう椅子を離れて、一歩テーブルを退いた。いかにひまな中野君も「それでは」とついに降参して御辞儀をする。玄関まで送って出た時思い切って
「あなたは、もしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか」と念晴らしのため聞いて見る。
「高柳? どうも知らんようです」と沓脱から片足をタタキへおろして、高い背を半分後ろへ捩じ向けた。
「ことし大学を卒業した……」
「それじゃ知らん訳だ」と両足ともタタキの上へ運んだ。

(夏目漱石『野分』)

 この「念晴らし」に岩波は「相手に対する疑念やわだかまりを晴らすこと」と注釈をつける。「疑念」は晴らすものであろうが、「わだかまり」は晴らすものであろうか。解ける、溶けるものではなかろうか。晴らすは他動詞、溶けるは自動詞である。この語用法的感覚はなかなか説明が難しい。

 それはさておき、「念晴らし」を大辞林は「疑念など,心にわだかまっている思いを晴らすこと」とし、大辞泉は「疑念やわだかまりなどを晴らすこと。あきらめをつけること」として、学研国語辞典は「疑念や執念を晴らすこと。また、あきらめをつけること」として、新明解は「疑念を晴らすこと」とする。
 広辞苑、新辞林、日本国語大辞典、明鏡には「念晴らし」の説明がない。


日本大辞書 第10巻 山田美妙 編日本大辞書発行所 1893年

 つまり「相手に対する」は注解者の独自解釈となる。この辺りは何か典拠を示すべきであろう。私が確認した限りではむしろ「あきらめをつけること」の用例が多い。

もしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか


 私は原則夏目漱石作品に限らず単独モデル説を採らない。あるいはそもそも単独モデル説はどうでもいいことだと考えており、大抵のキャラクターは作者の勝手な造形なので、マドンナのモデルは誰それ、という注釈は不要だと思っている。

 しかし例えば『明暗』の主人公が津田で、装丁者が津田である場合には何か一つ説明が必要ではないかと考えている。そういう意味では、この「高柳周作」には何か説明が必要ではなかろうか。

 夏目さんには三年級でジヨージ、ヱリオツトのサイラス、マーナーを教はつた。大分難解の所もあつたが先生はすらすらと淀みなく片付けて行かれた。時々やかましい質問も出るが、ズンズン解決された。或時質問が漸次細かい所に入つて往つた時、突如夏目さんは「もう之れ以上教へない·····僕の月給はそんなエライ事を教へる程澤山には貰つて居ない。一體僕の月給は幾何だと思ふ」。質問して居た者も、聽いて居た者も呆氣に取られて了つた。夏目さんは眞面目な顏をして次へ講義して往かれた。
 此の人が當時の宰相陶庵候(※西園寺公望)に招かれて文星夜墜駿河臺の雨聲會に、「ほとゝぎす厠半ばに出兼ねたる」人である。此の難かしい質問を爲たのは友人の高柳君で、大抵每時間一囘は此の種の難質問をやるに定まつて居た。是れが即ち「野分」の高柳君で其の性格が能く描かれて居る。
 當時仲間の內で本名其の儘は少し酷過ぎると云ふ者もあつたが、同僚の菊地さん(一高教頭菊地壽人「猫」のヒシヤゴ)や杉さん(教授杉敏介「猫」のピンスケ)を本名其儘で槍玉に擧げた夏目さんの眼から見れば、生徒を使ふこと位は朝飯前の仕事であつたらう。
 此の高柳君が每時間一囘以上必ず對決的態度を以て道也先生と押問答を爲ることは、「野分」が出た當座は實に多大なる興味を齎す見物として全級を隨喜せしめたものである。高柳君は今東京法科大學の助教授で米國に留學して居る、此の訃報を聞いて恐らく其の類骨の高い學究的な顔を曇らすであらう。

[出典]山田潤二 著『赤心録』民友社 1921年

 これはいわゆる文豪を巡る豆知識ではなく、作品解釈上意味がある資料であると考えられる。内輪向けに仕込まれたユーモアが名前という具体的なものによってストレートに示されている例として、『明暗』の「津田」のケースとの比較研究の材料ともなろう。

 この人であろうか?

折れべきもの

 酔興を三たび重ねて、東京へ出て来た道也は、もう田舎へは行かぬと言い出した。教師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。学校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社会状態を矯正するには筆の力によらねばならぬと悟ったのである。今まではいずこの果で、どんな職業をしようとも、己れさえ真直であれば曲がったものは苧殻のように向うで折れべきものと心得ていた。

(夏目漱石『野分』)

 この「折れべき」に関して岩波は、北村透谷の『熱意』、永井荷風の『腕くらべ』にも「同様の例がある(岡島昭浩による)。」として典拠を詳らかにしない。ネットで拾ったのだろうか?

 いや、そういう可能性が全くなくはないので怖い。


 北村透谷の『熱意』では「見分けべき」の一例、永井荷風の『腕くらべ』では「尋ねべき」「終へべき」の二例が見つかる。


[余談]

五色の雲がわが眼を掠めて過ぎた


 中野君はまだ何か云おうとした時、敷石をがらがらと車の軋る音がして梶棒は硝子の扉の前にとまった。道也先生が扉を開く途端に車上の人はひらり厚い雪駄を御影の上に落した。五色の雲がわが眼を掠めて過ぎた心持ちで往来へ出る。
 時計はもう四時過ぎである。深い碧の上へ薄いセピヤを流した空のなかに、はっきりせぬ鳶が一羽舞っている。雁はまだ渡って来ぬ。向うから袴の股立ちを取った小供が唱歌を謡いながら愉快そうにあるいて来た。肩に担いだ笹の枝には草の穂で作った梟が踊りながらぶら下がって行く。おおかた雑子ヶ谷へでも行ったのだろう。軒の深い菓物屋の奥の方に柿ばかりがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。

(夏目漱石『野分』)

 この「五色の雲」に対して岩波は、「ここでは女性の着物の色鮮やかなようすのこと」と注釈をつける。ここはよく読んだなと感心する。道也先生は「道也先生は親指の凹んで、前緒のゆるんだ下駄を立派な沓脱へ残して」とあるので御影を踏む雪踏は道也先生のものではない。ちょうど都合よくそこに着いた人力車から女がおりて、代わりに道也先生が乗り込んだということなのだろう。
 しかしそんなことがあるかなと思いつつ、絵としてはひょうひょうとしていて面白い。これが英訳でなんとされているか興味深い。この「五色の雲」は、

 高柳君は恐る恐る三人の傍を通り抜けた。若夫婦に逢って挨拶して早く帰りたいと思って、見廻わすと一番奥の方に二人は黒いフロックと五色の袖に取り巻かれて、なかなか寄りつけそうもない。食卓はようやく人数が減った。しかし残っている食品はほとんどない。

(夏目漱石『野分』)

 この「五色の袖」の応用であろうが、逆に「五色の雲」が先に出て來るので初見では判然としない。

「天気がいいせいだよ。なるほど随分人が出ているね。――おい、あの孟宗藪を回って噴水の方へ行く人を見たまえ」
「どれ。あの女か。君の知ってる人かね」
「知るものか」
「それじゃ何で見る必要があるのだい」
あの着物の色さ
「何だか立派なものを着ているじゃないか」
「あの色を竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える。あれは、こう云う透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」
「そうかな」
「そうかなって、君そう感じないか」
「別に感じない。しかし奇麗は奇麗だ」

(夏目漱石『野分』)

 この何色か分からない着物ののように五色の袖も何色なのか解らない。これも「戒之在色」の戒めだろうか?


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