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『彼岸過迄』を読む 4383 高等遊民にしかできないこと

松本恒三は世間にどう貢献しているのか


「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」
「そうですとも、誰だってあなたの懐手ばかりして、舶来のパイプを銜えているところを見れば、心配になりますわ」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 妻の見立てはこうである。しかし最後に田川敬太郎の見立てではこうなる。

 彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜えて世の中を傍観している男でないと発見した。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 一番近くで松本恒三を見ている妻より、田川敬太郎の方が松本恒三の案外なところを発見したという理窟になる。しかしそれは一体何か?

 この問題は田川敬太郎が「発見」という言葉を選んでいることから何か明確なもの、具体的なところを捉まえなくては解かれまい。

 しかし実際、松本恒三は大したことは何もしていないのだ。

 僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工夫した。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無雑作であった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。
「けれども必竟は本人のために嫁入るんで、(そう申しちゃ角が立つが、)姉さんや市蔵の便宜のために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから」
「ごもっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この「千代子の縁談に関する助言」は「傍観」ではないにせよ、殆ど何かの役に立ってはいない。

 僕はそっと姉を訪ねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕べを僕と会食するために割さかせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐を食いながら、ひそかに彼の様子を窺がった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この「市蔵に対する探偵行為」は精々小刀細工である。

 まず「結末」でさらわれる粗筋をつぶさに眺めると、「彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものかを疑った」から「彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委くわしく聞いた」の間に田川敬太郎の「発見」はあるべきなのだが、どうもその辺りにはこれというものが見つからないのだ。

 物語として見れば確かに松本恒三は重要な役割を果たしている。須永市蔵の出生の秘密を須永市蔵ばかりか田川敬太郎にまで明かすことによって、読者に須永市蔵の母親は偽者であることを暴露した。この暴露こそ『彼岸過迄』という作品の肝の部分と見做す向きからは、確かに松本恒三は良くやったと褒められて然るべきなのであろう。

 しかしそれが「発見」とはどういうことか。

 私はこの点に関して、やはり「これは高等遊民でなきゃできないことだ」と田川敬太郎が感心したのではないかと考えている。「それでこそ高等遊民だ、よくやった」と。

「余裕って君。――僕は昨日雨が降るから天気の好い日に来てくれって、あなたを断わったでしょう。その訳は今云う必要もないが、何しろそんなわがままな断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそう云う断り方はけっしてできない。田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民でないからです。いくら他の感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 そう、高等遊民の必殺技は「わがまま」で「いくら他の感情を害したって、困りゃしない」という側面にある。無論本質的には高等教育の成果を自由に発展させて、日本の活花の歴史でもなんでも好きなことを研究できることだ。

 僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。
 こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺のこして行ったわずかばかりの財産である。

(夏目漱石『彼岸過迄』)


 しかしよくよく考えると須永市蔵の出生の秘密は、要配慮個人情報であり、センシティブ情報なのだ。こんなものを自分のタイミングでポンと放り投げるには、普通はそれなりの覚悟がいる。むしろ大抵の親戚は「恨まれるだけの損な役回り」として暴露役は引き受けたがらないのではなかろうか。それができるのは松本恒三が高等遊民であり、「わがまま」で「いくら他の感情を害したって、困りゃしない」という性格を持っているからだ。

 この性格はまさに余裕であろう。田川敬太郎は探偵によって位地にありつく事はできた。しかしそんな位地が窮屈なものであることは言うまでもなかろう。サラリーマンであれ、公務員であれ、組織人は高等遊民にはなれない。

 どんな秘密であれ、事実は明かされるべきであるとは思わない。あるいは市蔵の出生の秘密が明かされるべきであったかどうかは分からない。ただ「わがまま」で「いくら他の感情を害したって、困りゃしない」という高等遊民の本質は雨の日の面会謝絶ではなく、市蔵の出生の秘密の暴露によってこそ発見されたものだと言えるだろう。



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