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駄目な漱石論者たち② 田山録弥

『それから』の評

 夏目漱石氏の『それから』を読んだ。一種の心理を描出しやうとする作者の工風を面白いと思つた。けれど大体に於て、説明的学究的の弊に堕して居るのを飽足らず思つた。『かういふ理由だからかうだ』といふ風に頭から定めてかゝられるので、折角細かに並べ立てた心理が遺憾ながら読者に多くの余情と印象を残さない。むしろモドカシ只歯痒いやうな一種冗漫の感じを与へる。
『坑夫』を見ても解ることだが、ともすると漱石氏の作風には、ある一事件の道行ばかりを描いて、先方にある大事な的は、そのまゝ出さずに取残して置くといふ傾向がある。例へば『坑夫』では鉱山に行着くまでの経路を書いて、それ以上の肝要な所へは手を着けてない。此度の『それから』でも目貫めぬきな事件に取りかゝらうといふ前で筆を止めて居る。このネライ所が何となく技巧的に思はれてならない。それに『それから』の最後にある赤い色に見えると言つたやうな所も、何となく持つて行つてくつ付けたやうで厭な感じがした。

(田山録弥『文壇一夕話』)

 これは田山花袋本名での寸評である。論と言うほどのものではないが基本的に間違っているところを指摘しておく。

 まず「心理を描出しやう」として「説明的学究的の弊に堕して居る」と言いたいところが理解できないでもない。これまでの作品、その後の作品と比べても話者の代助の心理に関する言及はかなり抽象度が高く、言い回しが硬直で、理屈っぽく感じられる。

 彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像してみた。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌で抑えているんだと考えた。それから、この掌に応える、時計の針に似た響は、自分を死に誘う警鐘の様なものであると考えた。この警鐘を聞くことなしに生きていられたなら、――血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかったなら、如何に自分は気楽だろう。如何に自分は絶対に生を味わい得るだろう。けれども――代助は覚えずぞっとした。彼は血潮によって打たるる掛念のない、静かな心臓を想像するに堪えぬ程に、生きたがる男である。彼は時々寐ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、此所を鉄槌で一つ撲やされたならと思う事がある。彼は健全に生きていながら、この生きているという大丈夫な事実を、殆ど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さえある。

(夏目漱石『それから』)

 一読して何が書かれているのか理解できるものはまずなかろう。Audibleで聞き流して、意味が解るものではない。しかしこれはかなり抽象的ではあるもののけして学究的な説明ではない。三四郎が現実世界に振り回されて己の心理というものに頓着できなかったのに対して、(つまり自分の美禰子に対する気持ちがどう、美子に対してはどうと分析的に考えられなかったのに対して)、代助は話者によって「ああでもありこうでもある」とより複雑に見せかけられているだけで、肝腎な部分では「引力」という素朴な理屈で済まされる。

 彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であった。そうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考えた。あらゆる美の種類に接触して、そのたび毎ごとに、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼はこれを自家の経験に徴して争うべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力(アットラクション)に於いて、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂いわゆる不義(インフィデリチ)の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終甞めなければならない事になった。

(夏目漱石『それから』)

 難しそうに書かれているが、生きたがる男代助の「血潮によって打たるる掛念のない、静かな心臓」の話に比べれば、ここは全然難しくはない。要するに都会の男女はそれぞれ惹かれ合うと言っているのに過ぎない。そこに「両性間の引力(アットラクション)」と難しそうな言葉を当て嵌めているだけで、男女が惹かれ合うなど万葉歌の時代からの常識だ。

 さらに言えば、一番肝心な部分では「心理」すら描かず、自己決定と自由意志の問題を学究的に「説明しない」という荒業を見せる。

「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」
 代助の言葉には、普通の愛人の用いる様な甘い文彩を含んでいなかった。彼の調子はその言葉と共に簡単で素朴であった。寧ろ厳粛の域に逼っていた。但、それだけの事を語る為に、急用として、わざわざ三千代を呼んだ所が、玩具の詩歌に類していた。けれども、三千代は固より、こう云う意味での俗を離れた急用を理解し得る女であった。その上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかったのは、事実であった。三千代がそれに渇いていなかったのも事実であった。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫える睫毛の間から、涙を頬の上に流した。
「僕はそれを貴方に承知して貰いたいのです。承知して下さい」

(夏目漱石『それから』)

 この「告白」は「普通の愛人の用いる様な甘い文彩を含んでいなかった」とあるとおり、代助の三千代に対する愛情を明かしていない。存在に必要だというだけで、好きだとは言っていない。むしろ先ほどの引力理論によれば、受け身なのである。だから「三千代の引力を恐れた」とも書かれているわけである。

 田山花袋の寸評は漱石の言い回しの難しそうなところに誤魔化されて、代助が近代的自我などというものではないものによって動かされていることを見落としている。

 そして「最後にある赤い色に見えると言つたやうな所も、何となく持つて行つてくつ付けたやうで厭な感じがした」と書くからには、冒頭の椿から、血潮から、赤い唇、赤い頬、赤い眼、アマランスの赤い弁などと言った赤と「出来得るならば、自分の頭だけでも可いいから、緑のなかに漂わして安らかに眠りたい位である」という代助の赤と緑(青)の間の葛藤が見えていないことになる。

 が不図ダヌンチオと云う人が、自分の家の部屋を、青色と赤色に分って装飾していると云う話を思い出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、この二色に外ならんと云う点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即すなわち音楽室とか書斎とか云うものは、なるべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云うのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。

(夏目漱石『それから』)

 色に興奮し、色で安静になるのが心理なら、心理とはひどく受け身なものである。

 この時代に郵便ポストを赤くしたのも、電柱を赤くしたのも、煙草屋の暖簾を赤くしたのも代助ではない。そこに漱石の責任はない。

 つまり漱石が取って付けたのではなく、時代が赤に向かっていたのである。代助はその時代の風を受けて矢印となる風見鶏に過ぎない。

 この後高等教育を受けながら食のない学士が増えて社会問題化し、いっそのこと学校を減らそうかという議論まで起こる。個人のクッツイタカハナレタカの問題を別にして、代助が時代の風俗を生きていたことは確かである。これをとってつけたと言われると流石に困る。


 たまたま代助は親が裕福だが、平岡などは銀行を辞めると忽ち困窮する始末。資本主義社会というものが出来つつあった当時、文科の学士には教師くらいしか職がなかった。なおかつ家を持てば女房一人ではなく下女や仲働きまで養わなければならず、現在のように共働きのパワーカップルなんていうものもなかった。

 そういう時代感覚を持っているはずの田山花袋がこんなことを書いてしまうので始末に悪い。

 さらに当時の電車事情も知っている田山花袋なら、高田馬場、茅場町、水天宮あたりからすごすごと引き返してくる結末が見えたはずでもあろう。山手線じゃないんだから、そういつまでもぐるぐるしているわけにはいかない。



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