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三島由紀夫の天皇論・遅延理由書が解らなかった人のために

 彼の考えは独特ですからね、などと言われるとき、大抵はただ「わけがわからない」と突き放されているに過ぎない。

 私の言いたいのは三島由紀夫の天皇論はただ単に訳が分からないということではない。まさに独特だということだ。

  三島由紀夫の天皇論は分かっている範囲でさえ「そんなことありますか」というくらい奇抜なものなのだ。

 今回はそのことを三つのテーマに絞ってみていきたいが、どうしてもテーマは四つになる。

 この辺りがなかなかややこしい。


三種の神器を否定

 石原慎太郎との喧嘩腰の対談で突然飛び出す「三種の神器とはなんだ」「宮中三殿だ」という問いと答えは独特である。石原慎太郎はたちまち論破できると踏んでいただろうが、三島由紀夫の答えは途轍もない。三島由紀夫と議論して勝てる者はいないだろう。

 NHK出身のなんとかいう解説者ではあれば勾玉と剣と鏡が今も保管されていると言われています、と言いかねないが『太平記』では「先帝入水」で海中に没しているものだし、そもそも八岐大蛇の尻尾から取り出した剣とは何ぞやということになると理詰めでは反論できない。

 従ってここで三島由紀夫は神話上の天皇の権威を保証するアイテムである八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉を捨てた、その価値を否定したと見做して良いだろう。

 この三種の神器に価値はないというアイデアそのものは深沢七郎が『風流夢譚』の中で八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉をだれも見向きもしない単なる安っぽい玩具に仕立てたところと似ていなくもないが、これは素朴な保守や右翼、天皇信仰者などにはけして見られない大胆な発想の切り替えなのだ。

 件の解説者も「では本当に八岐大蛇はいたと思いますか?」と問い詰められれば答えに窮すだろう。その辺は大体でいいじゃないですかというのがいかにも日本的なやり方で、そういうものが三島由紀夫には我慢がならなかったのだろう。

 仮に天皇の権威を保証するものが宮中三殿であるとしたら、天皇は明治五年以降に作られたと言っているようなものであり、そういう意味でも三種の神器の否定は深沢七郎の「英国製の天皇」という批判に沿っている。

天孫降臨を否定

 このことは三島由紀夫の直接的な発言としてはない。しかしロジックとしては明確なことなので具体的に見て行こう。まず神話的な意味での三種の神器は天孫たる瓊瓊杵尊、邇邇芸命に与えられ、彼が天下ったことになる。その三種の神器を宮中三殿にしてしまうと、天孫の存在はたちまちどこかに消えてしまう。

 そして「大嘗会と同時に、あの、アマテラスオオミカミと直結しちゃう」という三島のロジックのなかにも瓊瓊杵尊、邇邇芸命の存在はない。

 天孫はいないのだ。

 どうも三島由紀夫は意識的に天照大御神を持ち出していて、神武天皇だとか瓊瓊杵尊、邇邇芸命というものを俎上に乗せない。そして三種の神器と瓊瓊杵尊、邇邇芸命の存在の否定は、天孫降臨という神話を否定するだけではなくもう一つの意味を持ってきてしまう。

 それがこれ。

 はい。

万世一系を否定

 福田恆存との対談の中で飛び出す「戦争が済んだら南朝が北朝になっちゃった」という発言は興味深い。一応三島は「僕の忠義は幻の南朝に捧げられたものだからね」とは言いながら、それでも天照大神と直結した今上天皇が今上天皇であることを否定しない。

 本物の天皇は誰なのかという議論をしない。林房雄は孝明天皇暗殺説について調べて「あり得ない」と結論するが、三島由紀夫にしてみれば孝明天皇が暗殺されていようがそんなことはどうでも良さそうなのだ。

 歴史的に見れば少なくとも三四回は血脈は途切れ、そもそも万世一系ではないと見ていいだろう。暇な人は天智天皇と天武天皇あたりをじっくり調べてみると良いだろう。どうも嫁の貰い方がおかしい。夏目漱石もその辺りが胡散臭いと思っているのか『三四郎』で揶揄い、『虞美人草』では母方が百済系の桓武天皇を持ち出して、「無用の詮議に、千古の泥を洗い落すは、一日に四十八時間の夜昼ある閑人の所作である」と何やら言いたげである。

 三島由紀夫こそは万世一系を無用の詮議と言いたげだ。

 三島憲法の天皇制においては「皇位は世襲であって、その継承は男系子孫に限ることはない」として、女性天皇を認めてしまっている。つまりDNAだとか、ご連枝の考え方も否定する。つまり万世一系という血の幻想も神話も必要なく、大嘗会という儀式によって天照大神と直結する天皇というものを認める。ただそれだけだ。

 神話でなく宮中三殿における儀式のオカルト性を信じる。それはまあ、結婚式を挙げたから夫婦なのか、新戸籍を作ったから夫婦なのか、そういうことはそもそも当人同士の了解事項だろうからどちらでも構わないとは云えようが、何者を天皇とするのかということが、そんないい加減でいいのかと私個人は思うが、三島由紀夫はそうではないらしい。

 さて三種の神器、天孫降臨、万世一系を否定して、それでも天皇が天皇たりうるとする考えの持ち主が三島由紀夫の他にいるだろうか。


信頼と敬愛があればいい?


 いた。

然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056tx.html

 昭和二十一年のいわゆる「天皇の人間宣言」の中でも明確に神話と伝説は否定され「相互の信頼と敬愛」が天皇の天皇たる根拠となっている。そしてこの人間天皇の全国行脚を各地で大歓迎した国民がいて、現に多くの国民は天皇を穏やかに認めている。

 ただ三島由紀夫ははげしく認めた。

 その違いがあるのみだが、一方で今でも平然と勾玉と剣と鏡が今も保管されていると言われていますというものが罰せられることもなく、皇室も伝説と神話に基づいた儀式を止めようとしないし、明治神宮も廃されない。このおおらかななんでもありの天皇制が三島由紀夫の気に食わないものであったことだけは確かである。

 問題は三島由紀夫が国学、それも平田篤胤の中に見出した天皇の根拠、「天照大神直結説」が超越論的なーんちゃってビリティを持つ、哲学的な思想なのだということだ。別の言い方をすればどうも三島天皇論の核心は三島の信念のなかにあり、ある意味よるべがない。

 言ってみればただ儀式を信じるという信仰の問題であれば、目刺の頭でもいいことになる。そこが解らない。三島由紀夫は自身の天皇論が誰かに理解されるとは思っていなかった。楯の会のメンバーにしてもその受け止め方はちぐはぐなもので、誰も三島天皇論を継承していない。だからと言ってすべては嘘だったとしていいものか。そこにはまだからくりがないものか。それが解らない。

 これが三島天皇論の現在だ。

 金閣寺を天皇にして格好をつけている場合ではない。


 皇后陛下皇太子殿下喫烟せらる。而して我等は禁烟也。是は陛下殿下の方で臣民に対して遠慮ありて然るべし。(中略)(四)帝国の臣民陛下殿下を口にすれば馬鹿叮嚀な言葉さへ用ひれば済むと思へり。真の敬愛の意に至つては却つて解せざるに似たり。言葉さへぞんざいならすぐ不敬罪に問ふた所で本当の不敬罪人はどうする考にや。是も馬鹿げた沙汰也。(五)皇室は神の集合にあらず。近づき易く親しみ易くして我等の同情に訴へて敬愛の念を得らるべし。夫が一番堅固なる方法也。夫が一番長持のする方法也

(明治四十五年五月十日、日記)

 もう一人いた。夏目漱石だ。

 もしかしたら、三島もランダム?


[余談]

 もしも天皇がLGBTをカミングアウトしたら?

 そういう発想そのものが不遜かつ差別的?

 天皇が同性婚を希望したら?

 そういう発想そのものが不遜かつ差別的?

 天皇が夫婦別姓を希望したら?

 そういう発想そのものが不遜かつ差別的?

 恐らく三島は仏像的天皇、ヘテロ的天皇を拒まなかった筈だ。

 で、どうなる?

 

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