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川上未映子の『ブルー・インク』はどこがこわいのか?

 高校生の男の子が女の子から貰った手紙を失くす。手紙は万年筆の青いインクで書かれていた。

 万年筆で書かれた手紙!

 ……そんな「昭和な物語」がまさについこの間までの、あのコロナ禍の息の詰まるような時間に置かれていることがとても奇妙だ。しかし令和の電話は動画を映し出し、ライト代わりに暗闇を照らすこともできる。

 そして主人公の「僕」はLINEもSNSもやらない「彼女」と合わせるためか、電話をかけたり切ったり、電話で話したりもする。

 後何年かしたら、例えばあの日コンビニの棚が全部からになって、翌日スーパーのパンが全部売り切れて、自動販売機の水が全部売り切れて、乳幼児のいる人にミネラルウォーターが優先販売されたなんてことがあったんだよと話しても、東日本大震災直後のふわふわした空気感が伝わらなくなるように、「電話する」とはどういうことなのか、今の若い人には解らないだろうねと言われるようになるかもわからないが、兎に角「僕」は「彼女」と知り合い、ときどき電話で話すようになる。

 間もなくそんな当たり前のことが出来なくなるとは知らずに。

 何故か「彼女」は自分が思ったことや考えていることを書きたがらない。note民と真逆の存在だ。

「残ってしまうから」彼女はしばらくして、つぶやくように言った。「わたしは、それがとてもこわい」

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 そういわれるともうこわい。何故なら三十年ほど前、二人が通う学校では夏休みの間中暗室に閉じ込められて死んでしまった女子学生がいるからだ。公務員が週休二日制になり、山手線の駅が禁煙になったころの話だ。

 そう気がついてしまうと「彼女」の最初の手紙はこわい。

 はっきりとした主語がなく、ひっきりなしに雪が降っていて、すぐに消えてしまう足跡の大きさを計っている人物がいた。また、誰のものなのかわからない台詞が突然あらわれ、大きくなりすぎて檻から出られなくなった老いたうさぎの描写があった。

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 これは三十年前に死んだ女子学生の手紙なのではないか。

 二人は失くした手紙を探して夜の学校に忍び込み、デッサン室で手紙を探す。手紙は結局見つからない。

「手紙は消えたんじゃない」
再び彼女が言った。
「君が失くして、見つけられなかった」

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 そんなものは無限にある。そんなものだらけだ。私もこれまで大切なものを失くし続けてきた。みんなおなじようなものだろう。しかしそのことで「彼女」は泣き、「僕」は勃起する。まるで昭和だ。

 そのことについて考えるべき何かがあるなら、それを考えるのは彼女のほうなんじゃないか。気まずさを感じたり恥ずかしいと思ったり、ごまかしたりしなければならないと思うのなら、それは彼女がそうするべきなんじゃないのか。そしてこの状態をどうにかするのは、彼女なのではないのだろうか。

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 思えばこれまでとは打って変わった落ち着いた文体も、「僕」の屁理屈もそのまま昭和だ。そもそも夜の校舎に忍び込むのが昭和だ。今はもう学校も防犯カメラをつける時代なのに。

「さっき、ここで女の子の話したよね」
「うん」
「あれね、本当は暗室じゃなくて、デッサン室だったんじゃないかなと思う」
「何が」
「死んだのが」 

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 それが「彼女」の最後の言葉になった。

 まるでどこからも影が失われた世界のなかで、もう思いだすこともできない青さのなかで、僕は動くことも探すことも声を出すこともできず、ただ立っていることしかできなかった。

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 こう結ばれる昭和な物語は、しかし間違いなくあの特別な空間に置かれていた筈だ。何時の時代にも誰にでも、確かに「君が失くして、見つけられなかった」と言われかねないものはある。山ほどある。しかし誰にも何も解らないあの不思議な空間の中でこそ、失うべきではなかったものがある筈だ。手紙も「彼女」ももう「僕」には見つけられないだろう。

「わたしは手紙を書くべきじゃなかった」彼女は言った。「きっと誰かが、私の手紙を読む」
「もし誰かが拾って読んだとしても」僕は反射的に声を出していた。「君が書いたものだとは、わからないんじゃないかな」

(川上未映子『春のこわいもの』新潮社 2022年)

 そんなことは言うべきではなかった。手紙は「僕」に読まれるために書かれたのであり、別の誰かが読むべきものではない。

 しかしこの言葉でおそらく彼女の中の大切なものは損なわれてしまった。「もし誰かが拾って読んだとしても」? 手紙は誰かが拾って読むために書かれたものではない。「僕」の勃起はどこにも辿り着けない。所詮単なる偶然の出会いにすぎないものをこそかけがえのないものだと勘違いすることなしに、誰もその青い時代を通り過ぎることなどできないのだ。

 じゃあ、電話をするか、手紙を書いたらどうなんだ、というアドバイスは無意味だろう。「僕」は万年筆を持っていないし、たぶん彼女はもう電話には出んわ。(昭和ギャグ)

 もう「彼女」は「君が失くして、見つけられなかった」ものになってしまったのだ。誰かが拾っても「彼女」なのかどうなのか、見分けがつかない。

 川上未映子の『ブルー・インク』のどこがこわいか?

 夏休み中だと腐敗し、うじがわき、巨大化するからこわい。昔官報を読んでいて、そんな「行旅死亡人公告」があったからこわい。

https://search.kanpoo.jp/q/%E8%A1%8C%E6%97%85%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E4%BA%BA




[余談]

『風の歌を聴け』の三番目のガールフレンドも腐っているよね。


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