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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する150 夏目漱石『道草』をどう読むか26    半年なんてあっという間だ

馬鹿な真似をするな

「どうせ御産で死んでしまうんだから構やしない」
 彼女は健三に聞えよがしに呟やいた。健三は死んじまえといいたくなった。
 或晩彼はふと眼を覚まして、大きな眼を開いて天井を見詰ている細君を見た。彼女の手には彼が西洋から持って帰った髪剃があった。彼女が黒檀の鞘に折り込まれたその刃を真直ぐに立てずに、ただ黒い柄だけを握っていたので、寒い光は彼の視覚を襲わずに済んだ。それでも彼はぎょっとした。半身を床の上に起して、いきなり細君の手から髪剃をもぎ取った。
「馬鹿な真似をするな」
 こういうと同時に、彼は髪剃を投げた。髪剃は障子に篏はめ込んだ硝子に中ってその一部分を摧いて向う側の縁に落ちた。細君は茫然として夢でも見ている人のように一口も物をいわなかった。

(夏目漱石『道草』)

 この砕かれた硝子戸が『硝子戸の中』の硝子戸で、或る日漱石が下女にナイフを渡して「これで小刀細工をなさいと、奥さんにおっしゃい」とかなんとか言うという真逆の事件があったそうだ、とでも思わなければ、何とも生々しく息苦しいエピソードなのかもしれない。

 実際健三はこの馬鹿な真似に脅かされてしまう。この馬鹿な真似が何なのかよく分からないからだ。「これで小刀細工をなさいと、奥さんにおっしゃい」という漱石もよく分からないが、この細君の考えも解らない。読者は書かれている文字しか読めないので、この細君の腹の中に話者が立ち入ってくれなくては細君の考えが解らない。これまで何度かそういう場面もあった筈だが、ここは健三の困惑を引き出すために細君を外側からしか描かない。

死を衒う人

 彼女は本当に情に逼って刃物三昧をする気なのだろうか、または病気の発作に自己の意志を捧げべく余儀なくされた結果、無我夢中で切れものを弄ぶのだろうか、あるいは単に夫に打ち勝とうとする女の策略からこうして人を驚かすのだろうか、驚ろかすにしてもその真意は果してどこにあるのだろうか。自分に対する夫を平和で親切な人に立ち返らせるつもりなのだろうか、またはただ浅墓な征服慾に駆られているのだろうか、――健三は床の中で一つの出来事を五条にも六条にも解釈した。そうして時々眠れない眼をそっと細君の方に向けてその動静をうかがった。寐ているとも起きているとも付かない細君は、まるで動かなかった。あたかも死を衒う人のようであった。

(夏目漱石『道草』)

 細君は死を衒う人と思われるほど静かに寝る女なので呼吸までが確かめられたのであろう。
 
 ここには「馬鹿な真似」の解らなさがある。そしてどうしても他人でしかない妻に対する不信の眼差しがある。一旦健三の方に可笑しなふるまいをさせておいて、今度は細君の方を異常にしてみる。こうして際どいバランスの中でぎりぎり成立する夫婦というものを強調する。

 こうした場面を読み直すとやはり坂口安吾が言うところの「夏目漱石という人は、彼のあらゆる知と理を傾けて、こういう家庭の陰鬱さを合理化しようと不思議な努力をした人」という切り取りがなかなか鋭い指摘であると感心する。

 島田は前の妻を離縁して再婚した。比田は喘息持ちの妻をかまわず女を囲っている。長太郎はなんやかやで三人目の妻を迎えた。健三は妻に孤独さえ味あわせわせながら「離婚」という選択肢を思い浮かべさえしない。それぞれにそれぞれの家庭のあり様があるけれど、ここで健三は「死を衒う人」とまで突き放して妻を捉えながら、確かに安吾の言うところの不思議な努力をしている。

 津田に比べれば随分一途である。その点は家庭にはこだわりながら浮気をする『歯車』の「僕」とも違う。

彼が飯を食う時給仕をしながら色々な話をした

 巣鴨の植木屋の娘とかいう下女は、彼のために二、三の盆栽を宅から持って来てくれた。それを茶の間の縁に置いて、彼が飯を食う時給仕をしながら色々な話をした。彼は彼女の親切を喜こんだ。けれども彼女の盆栽を軽蔑した。それはどこの縁日へ行っても、二、三十銭出せば、鉢ごと買える安価な代物だったのである。
 彼は細君の事をかつて考えずにノートばかり作っていた。彼女の里へ顔を出そうなどという気はまるで起らなかった。彼女の病気に対する懸念も悉く消えてしまった。
「病気になっても父母が付いているじゃないか。もし悪ければ何とかいって来るだろう」
 彼の心は二人一所にいる時よりも遥かに平静であった。
 細君の関係者に会わないのみならず、彼はまた自分の兄や姉にも会いに行かなかった。その代り向うでも来なかった。彼はたった一人で、日中の勉強につづく涼しい夜を散歩に費やした。そうして継布のあたった青い蚊帳の中に入って寐た。

(夏目漱石『道草』)

 里に帰った細君と子供たちのお蔭で健三は心の平静を取り戻す。細君とは話さないのに下女とは色々な話をする。これで須永市蔵と「女らしい」「一筆がきの朝貌」「尊い感じ」と見えた作みたいな話になると面白いのだが、ここで下女は名前さえ与えられない。

 安い植木鉢を買ってくる女としか見られない。「彼のために二、三の盆栽を宅から持って来てくれた」というのは女房が里に帰ったタイミングで何かしかけようというよりは、慰め、気晴らしのための親切心であったのだろう。その鉢を「どこの縁日へ行っても、二、三十銭出せば、鉢ごと買える安価な代物」と言ってしまう健三はやはり偏屈である。

下駄でも買ったら好いだろう

 一カ月あまりすると細君が突然遣って来た。その時健三は日のかぎった夕暮の空の下に、広くもない庭先を逍遥していた。彼の歩みが書斎の縁側の前へ来た時、細君は半分朽ち懸けた枝折戸の影から急に姿を現わした。
「貴夫故のようになって下さらなくって」
 健三は細君の穿いている下駄の表が変にささくれて、その後の方が如何にも見苦しく擦り減らされているのに気が付いた。彼は憐れになった。紙入の中から三枚の一円紙幣を出して細君の手に握らせた。
「見っともないからこれで下駄でも買ったら好いだろう」
 細君が帰ってから幾日目か経った後、彼女の母は始めて健三を訪ずれた。用事は細君が健三に頼んだのと大同小異で、もう一遍彼らを引取ってくれという主意を畳の上で布衍したに過ぎなかった。既に本人に帰りたい意志があるのを拒絶するのは、健三から見ると無情な挙動であった。彼は一も二もなく承知した。細君はまた子供を連れて駒込へ帰って来た。しかし彼女の態度は里へ行く前と毫も違っていなかった。健三は心のうちで彼女の母に騙されたような気がした。
 こうした夏中の出来事を自分だけで繰り返して見るたびに、彼は不愉快になった。これが何時まで続くのだろうかと考えたりした。

(夏目漱石『道草』)

 すり減った下駄。

 宗助は穴の開いた靴を履いていた。生活水準は履物に出るということか。しかしこれは実家でも誰かが気がついたかもしれないことであり、そこでは指摘されなかったことだ。
 つまり『三四郎』を読んだ人が誰も「あれ、美禰子って本当は裕福じゃなかったんじゃないのか?」と下駄のことに気が付かないように、漱石が『三四郎』のそれからですよとわざわざ断って『それから』を書きはじめると、いきなり冒頭で俎下駄が空中にぶら下がり、「ほれ、ほれ、下駄なんだよ、下駄を見なきゃいけないよ」と合図をしているのに、誰も美禰子の下駄なんて見やしない。
 健三の細君の下駄も、健三しか見ていない。三四郎はまた初心なので美禰子の下駄の「意味」に気が付かない。しかし健三は細君の下駄に気が付く。

彼女の態度は里へ行く前と毫も違っていなかった

 
 そう言われてみるとそもそも根本の問題は何だったのかと疑問になる。頭から読み返してみてやはりそこは判然とはしない。「貴夫故のようになって下さらなくって」と細君が言うからには、細君からしてみれば健三が前とは変わったのであり、それが不仲の原因なのだ。
 しかし健三が浮気をしているわけではなく、何か大きな事件があったわけでもない。健三が妻に対する思いやりを表に出さないのが悪いのであって、いってみればそれくらいのことなのである。子供を産んだ女がしぶとくなるのは当然のこと、女が夫を離れた自己を持つのは時代である。健三の不満はやはり偏屈でありわがままだ。

 ……そんなことはどうでもいい。

 細君が里に帰っていた時期は、

「じゃ当分子供を伴れて宅へ行っていましょう」
 細君はこういって一旦里へ帰った事もあった。健三は彼らの食料を毎月送って遣るという条件の下に、また昔のような書生生活に立ち帰れた自分を喜んだ。彼は比較的広い屋敷に下女とたった二人ぎりになったこの突然の変化を見て、少しも淋しいとは思わなかった。
「ああ晴々して好いい心持だ」
 彼は八畳の座敷の真中に小さな餉台を据えてその上で朝から夕方までノートを書いた。丁度極暑の頃だったので、身体の強くない彼は、よく仰向けになってばたりと畳の上に倒れた。何時替えたとも知れない時代の着いたその畳には、彼の脊中を蒸すような黄色い古びが心まで透っていた。

(夏目漱石『道草』)

 猛暑?

 つまり、

・九月某日島田と会う
・その六日後もう一度島田と会う
・次の日曜姉に会う
・一週間後の日曜日に風邪をひく
・ニ三日寝込む(この間、吉田虎吉が訪問)
・吉田虎吉と面会
・何日か後の午後(一週間後の日曜日? 十月初旬?)、吉田虎吉と島田がやってくる
・雨が降る日が数日続く
・晴れた日曜日、細君が子供を連れて里と長太郎を訪問する
・月は早くも末になった(十月末?)細君が会計簿を持ってくる
・健三は仕事を増やして給与が出る(十一月末?)
・ニ三日経ってから細君に反物を見せられる
ある日留守中に島田が来たと言われる
・比田に葉書で呼び出され、葉書で返事を出して、比田の家に行く。
・青年と散歩する(長太郎が来るが留守)二十九章、細君は妊娠している
・ニ三日後長太郎が袴を返しに来る
・事件のない日がまた少し続いた

 ここまでが三十八章。やはり季節を表わすような表現がこれと言って見当たらないばかりか、むしろ青年と散歩しているところなどは少しも寒そうな様子がなく、むしろ春なのかとさえ思う。しかし計算上はもう十二月の中旬以降でなくてはおかしい。ここからしばらく健三の奇妙な「過去」の話になり、現在進行している時間の感覚がなくなる。

・それから五、六日ほどして島田がまたやってきた

 この「それ」が仮に十二月十五日であれば、もう十二月二十日ごろという計算になる。

・三日ほどしてまた島田がやってくる

 問題はその後だ。

多少片意地の分子を含んでいるこんな会話を細君と取り換わせた健三は、その次島田の来た時、例よりは忙がしい頭を抱えているにもかかわらず、ついに面会を拒絶する訳に行かなかった。

(夏目漱石『道草』)

 この「例よりは忙がしい頭を抱えている」が年末の忙しさを仄めかしてはいまいか? この来訪が前回の三日後だとして二十六七日の計算である。つまり、

「どうも少し困るので。外にどこといって頼みに行く所もない私なんだから、是非一つ」

(夏目漱石『道草』)

 五十二章で初めて具体化する島田の金の無心、これは年末のつけ払いの勘定の為の無心だったのではないのか。と思えば翌日も健三は普通に勤務している。

 そもそも健三が遠い所から帰ってきて駒込に所帯を持ったのが九月初旬で、そこで一発で仕留めたとして十二月中旬に妊娠が判明するのはぎりぎり早い。従って「そうして今は既に三番目の子を胎内に宿していた」というのは回顧の形式による話者の説明であると考えるべきかもしれない。

 しかしそこから急に夏になっている。全く破綻はしていないが、やはり年越しと春が飛ばされている感じが否めない。

 こういう不愉快な場面の後には大抵仲裁者としての自然が二人の間に這入はいって来た。二人は何時となく普通夫婦の利くような口を利き出した。
 けれども或時の自然は全くの傍観者に過ぎなかった。夫婦はどこまで行っても背中合せのままで暮した。

(夏目漱石『道草』)

 この四行ほどの間に半年以上が経過したのだとしたら、人生なんて本当にあっという間だ。

[余談]

 混んでる。


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