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『彼岸過迄』を読む 4377 漱石全集注釈を校正する④ 小川町(おがわまち)で乗り換えてはいない

 岩波書店『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』注解に、

 三田線 明治三十七年(一九〇四)年六月開通の、本郷三丁目━須田町━小川町━神田橋━日比谷━桜田本郷町━三田、という線。「移った」とあるのは、本郷から江戸川橋行きの江戸川線に最初乗っていて、小川町で内幸町方面に行く三田線に乗り換えたことをいっているものと思われる。

(『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』岩波書店 2017年)

 ……とある。この場面は、

 彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須永の門口まで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮議をすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真直に神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹の家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行の辺りで下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 前回三田線を、

三田 ↔ 芝園橋 ↔ 櫻田本郷町 ↔ 日比谷 ↔ 神田橋 ↔ 小川町 ↔ 須田町 ↔  松住町 ↔ 本郷三丁目

 あるいは、

三田 ↔ 芝園橋 ↔ 櫻田本郷町 ↔ 日比谷 ↔ 神田橋 ↔ 小川町

↔ スルガ台下 ↔ 神保町 ↔ 水道橋 ↔ 春日町 ↔ 指ケ谷町

 ……と路線図を簡略化して示した。

 正確には停留所で言えば、

三田 ↔ 芝園橋 ↔ 三門前 ↔ 御成門 ↔ 愛宕町 ↔ 櫻田本郷町 ↔ 内幸町 ↔ 日比谷 ↔ 馬場先門 ↔ 和田倉門 ↔ 大手町 ↔ 神田橋 ↔ 錦町 ↔ 小川町 ↔ 須田町 ↔ 松住町 ↔ 宮本町 ↔ 湯島五丁目 ↔ 本郷一丁目 ↔ 本郷三丁目 

三田 ↔ 芝園橋 ↔ 三門前 ↔ 御成門 ↔ 愛宕町 ↔ 櫻田本郷町 ↔ 内幸町 ↔ 日比谷 ↔ 馬場先門 ↔ 和田倉門 ↔ 大手町 ↔ 神田橋 ↔ 錦町 ↔ 小川町↔ スルガ台下 ↔ 神保町 ↔ 三崎町 ↔ 水道橋 ↔ 春日町 ↔ 柳町 ↔ 指ケ谷町

 ということになろうと思う。「勧業銀行の辺りで下りるはずのところ」は内幸町を示しており、「桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した」とは乗り過ごして戻ったという意味になる。


 また注釈者が「江戸川線」と呼んでいるのは「本所、深川線」のことだろう。「江戸川線」とは一般的には江戸川区を走っていた路面電車だが、この当時はまだ存在しない。

 あったのは、

東京遊覧案内

 この路線で、

本郷本所廻り
江戸川、飯田橋、九段下、駿河台下、小川町、須田町、本郷、上野広小路、厩橋、本所両国、柳原、須田町を経て小川町、駿河台下、九段下、飯田橋、江戸橋

両国本所廻り
江戸川、飯田橋、九段下、駿河台下、小川町、須田町、柳原、両国本所、厩橋、上野広小路、本郷、須田町を経て小川町、駿河台下、九段下、飯田橋より江戸川に至る

 どうも順路が合わない。

 その「本所、深川線」は、

龜澤町 ↔ 石原町 ↔ 外手町 ↔ 厩橋 ↔ 三筋町 ↔ 小島町 ↔ 竹町 ↔ 西町 ↔ 上野廣小路 ↔ 切通下 ↔ 區役所前 ↔ 本郷三丁目 ↔ 真砂町 ↔ 春日町 ↔ 表町 ↔ 大曲 ↔ 水道橋 ↔ 江戸川橋 ↔ 飯田橋 ↔ 飯田町三丁目 ↔ 東兩國 ↔ 林町 ↔ 森下町 ↔ 靈岸町 ↔ 萬年町 ↔ 黒江町 ↔ 福島橋 ↔ 相川町 ↔ 永代橋 ↔靈岸町 ↔ 吾妻橋

 ……と少々路線図があやしい。では、田川敬太郎はこの路線をりようしたのだろうか。

本郷三丁目 ↔ 真砂町 ↔ 春日町 ↔ 表町 ↔ 大曲 ↔ 水道橋 ↔ 江戸川橋

 いや、そもそも田川敬太郎は三田線で本郷三丁目から小川町経由で、そこで降りないで、そのまま桜田本郷町まで行って内幸町で降りたとみるのが自然だろう。つまり以下の経路ではないか。

本郷三丁目 ↔ 本郷一丁目 ↔ 湯島五丁目 ↔ 宮本町 ↔ 松住町 ↔  ↔ 須田町 ↔ 小川町 ↔ 錦町 ↔ 神田橋 ↔ 大手町 ↔ 和田倉門 ↔ 馬場先門 ↔ 日比谷 ↔ 内幸町 ↔ 櫻田本郷町


「我慢してすぐ三田線に移った」とは電車を乗り換えたのではなく「後姿の女から三田線に意識を移した」という意味であろう。



[余談]


 本人知ってるのか? 

 




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