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子規の句か漱石の句かほととぎす 夏目漱石の俳句をどう読むか108

裏表濡れた衣干す榾火哉

 解説には季語が榾火というだけの説明しかない。

 よいこのみんなはこの句の意味が解っているのであろうか。

 洗濯物を「裏表濡れた衣」とは言わないだろうし、外側から水が内側まで染みたわけでもなかろう。これは外側と内側が別々の要因でぬれた衣と見做すべきではないか。

 そうでなければ

裏にまで染みた衣干す榾火かな 

 となる筈である。では内側が濡れた要因とは何か。それだけは口が裂けても言えない。言うわけにはいかない。

積雪や血痕絶えて虎の穴

 解説は積雪が冬の季語であるとしか説明しない。

 これは芥川に言わせれば「鬼趣」の句ではないか。

 雪が積もっている。その上に血痕が続いていて、途切れたところが虎の穴だった、という意味か。

 日本には虎がいないので想像の句であり、さしてリアルでもないが、やはり何か凄まじい感じはある。

 調べればこの句にも『三国志』やらなにやらの由来が見つかるかもしれないがあまりにも手掛かりが少ないのでやめておく。

鶯の大木に来て初音かな

 季節が急に春になる。これは鶯が大木に来てとまり、ホーーホケキョ、と鳴いたという程度の句であろう。それでも初音と詠むことでホーーの伸びがなだらかならず、ケキョの切れも今一つだったということでもあろうか。

 格好の見せ場である梅の枝は先輩に奪われ、無粋な大木によらざるを得なかった新人鶯のかわいらしさが詠まれた句と見做してよかろう。

雛殿も語らせ給へ宵の雨

 解説に「雛殿は雛人形」とある。また明治九年には

雛殿も帰らせたまへ宵の雨

 と改作されたかのような書き方がされている。「語らせ給へ」「帰らせたまへ」ともにどこに向かってのいじりなのかが良く解らない。

 雨が降っているので、「語らせ給へ」ならば晴れていたら黙るのかとか、雨が降っているので、「帰らせたまへ」ならば、晴れていたら泊りで、雨が降ると雨の中濡れて帰らせるのとか、あれこれ考えてしまう。

 問題は「も」だ。

 これはいぎたない客の長話が続いているので、雛殿も「語らせ給へ」であり、雛人形をつれてとっと「帰らせたまへ」ということなのかなあ?

陽炎の落ちつきかねて草の上

 ゆらゆらゆれる陽炎が落ちつきかねているところが逆に反語的あじわいというものであろうか。いやそれよりも空気の揺らぎによるもの見え方である陽炎がむしろ熱されにくい草の上という位置を占めることが逆説的なのであろうか。

 陽炎に関しては芥川のこんな句や、

 やたらと陽炎が出てくる『素戔嗚尊』でも考えたのだが、そんなにあちこちに出るものかね?

 都会のアスファルトの上とか真夏のグランドとか、それこそ西部劇の荒野ならわかるけど川の傍や草の上……。

 でるね。

馬の息山吹散つて馬士も無し

 また「も」だ。しかしみんな本当に意味が解っているのかな。これ一瞬で「も」が解れば、漱石でも芥川でもすらすら読めるよ。

 これ、おそらく山吹も馬の息で吹き飛ばされて馬士も吹き飛ばされたという意味で、過剰誇張法というレトリックですよね。

 まあそのくらい鼻息が荒い馬だったと。

山吹散って馬子唄代わりの馬の息 

馬子なくて馬子唄も無し散る山吹

 これは実景というより、何か少し古い時代を想定しての句のように思える。

辻駕籠に朱鞘の出たる柳哉


子規句集 瀬川疎山 編文山堂 1908年

 子規の句になっちゃっている。

明治四大家俳句集 春夏

 こっちもだ。

俳諧三家集

 これもそう。


明治大家俳句評釈 寒川鼠骨 著大学館 1906年

 これもだ。

新纂俳句大全 春之部


明治句集 春の巻


明治俳諧五万句
漱石全集 第10巻 (初期の文章及詩歌俳句) 夏目漱石 著漱石全集刊行会 1918年


 解説に「辻駕籠は辻に待っていて客を取る駕籠」と説明がある。とはいえ十字路で待っている訳ではなく駕籠屋で待っているわけだ。

 

正宝事録 [36]

 いやいや、そういう話ではなくて、この句は長らく子規の句として紹介されてきたけれども、調べてみたら間違いなく漱石の句であることがいついつ判明したと、そうはっきり書かないと解説にならないんじゃないの?

 そこを問題にすらしないということは、この句の由来すら確認できていないということなんじゃないの?

 これ、本当に漱石の句でいいのかな?

 子規の句ってことはないの? 


辻駕に朱鞘の出たる柳かな


正岡子規の俳句(春)(CSV:377KB)

 あーこれ、松山市の子規の俳句のデータベースに入っちゃっているよ。岩波書店さん、今すぐ松山市の偉い人と相談して何とかして。

 考えている暇はないよ。

 そもそも何を考えるの。

 トラブルが起きたらまず報告。

 関係者に連絡。

 まず確認できた事実のみをできるだけ速やかに。

 自分のところで胡麻化そうとするのが一番駄目なこと。

 スピードが第一。

 ともかくね、早さこそが誠意。でないと

 またこんな改ざん事件になってしまうよ。

 とにかく急いで。

辻駕籠に盗人載せる夜寒哉

寒山落木 1-5 [4] 正岡子規 著[正岡子規自筆] 1895

朱鞘さす人物すごしんめの花    一庸

 この梅の咲いているのはどんな場所かわからぬ。が、恐らくは梅見に人の来るようなところで、特に朱鞘の人が目立つというのであろう。講談に出て来る中山安兵衛のような浪人者であるかどうか、とにかく一見物凄いような感じを与える人物がいる。「人物すごし」は「ヒトモノスゴシ」で「ジンブツスゴシ」でないことは勿論である。
「何事ぞ花見る人の長刀」という桜の下では、到底この種の人物は調和しない。仮令朱鞘の浪人者が徘徊するにしても、空気は一変して春風駘蕩の図とならざるを得ぬであろう。物凄い朱鞘の人物に調和するのは、やはり梅より外はあるまいと思う。
 梅を「んめ」と書くのは古俳書によくある例である。蕪村は「梅さきぬどれがむめやらうめぢややら」と言ったが、文字面もじづらからいうと、もう一つ「んめ」がある。但ただし発音は「む」と同じだから、特にいうほどのことはないかも知れぬ。

古句を観る
柴田宵曲

 ということで句の解釈としては庶民が乗る辻駕籠に長い派手な朱鞘の太刀をわざとはみ出させた勇ましい豪傑が乗っていて、柳の緑に朱鞘が映え、勇ましい朱鞘となよなよした柳が対になり、ますらおぶりとたおやめぶりの衝突があって……。

 なんて、悠々と解釈はしていられない。

 早く真相を突き止めて。

[余談]

 余談なんてないよ。

 岩波書店さん急いで。今日も誰かは死んでいくんだよ。

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