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黒い髪に陽炎を砕く

 激昂と失望から藤尾は自殺する。(『三代の女性』矢崎弾 著若い人社 1942年)

 これが殆どの人の『虞美人草』に関する誤読であることは既にのべた。藤尾は毒を飲んで自殺したのではない。

 そして、

處で、殘る問題としては、藤尾は一體昏迷して床に倒れたまゝ、神經系の激動の結果、終に死に就いたものであらうか、それともそれとも別に毒でも仰いて自殺したものであらうか。私には何方とも考へられる。そして何方に考へてもそれぞれ面白い。従つて何れとも確たる判断は與へられない。今はたゞ先生の生前、作者自身の考へを伺つて置かなかつたのを遺憾とするのである。(『文章道と漱石先生』森田草平 著春陽堂 1919年)

 この森田草平のような日和見的態度が、「誤読」を「多様な解釈」にすり替えてしまう最もだらしないものである、と言っておこう。「多様な解釈」ができる場合とできない場合がある。藤尾の死に関しては後者である。「私には何方とも考へられる。そして何方に考へてもそれぞれ面白い。従つて何れとも確たる判断は與へられない」とする根拠が明確ではない。自殺説をとるならば、「毒をどこでどうやっていつ何故用意したのか?」という問いに答えねばならない。また、「蛾の女がしおらしく自殺する理由」を述べねばならない。

「妾も先刻からその事ばかり考えているの。しかしまさか浪は這入らないでしょう。這入ったって、あの土手の松の近所にある怪しい藁屋ぐらいなものよ。持ってかれるのは。もし本当の海嘯が来てあすこ界隈をすっかり攫って行くんなら、妾本当に惜しい事をしたと思うわ」
「なぜ」
「なぜって、妾そんな物凄いところが見たいんですもの」
「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉をぶった切るつもりで云った。すると嫂は真面目に答えた。
「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首を縊くくったり咽喉を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌いよ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」(夏目漱石『行人』)

 『行人』の「腑抜け」の直が、ここで小刀細工の自殺を否定し、猛烈で一息な死に方を望んだことを想えば、あの藤尾が毒を飲んで自殺したとはさすがに考えられないのではないかと思うが、どうも世間ではそうではないらしい。あの藤尾が解っていないのではなかろうか。

「何です」と云いなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇(やまかがし)の首を擡げた時のようである。黒い髪に陽炎を砕く。(夏目漱石『虞美人草』)

 徹底して藤尾を我の女として描く漱石の苦労も水の泡である。これでは殆ど化け物だが、あえて漱石はここまで極端に書いたのである。こんな女がしおらしく自殺するわけがない。仮に死ぬとしたら、虚無党に爆弾でもぶつけられなければお話に成らない。それを愛弟子に「藤尾は別に毒でも仰いて自殺したんですか?」と質問されたとしたら、漱石先生は苦笑するしかあるまい。森田草平は質問しなくて良かった。いやしかし、小宮豊隆も解ってなさそうだなあ。







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