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芥川龍之介の『舞踏会』をどう読むか④ 僕の性欲のゆくえ

 芥川の『舞踏会』に関しては既にこのようなことを述べている。

・明子は仏蘭西人将校にも美しいと思われていたのだろうか
・「美しく青きダニウブ」なのに独逸管絃楽? 
・明子の子も頭が禿げるのではなかろうか
・フランス人将校は花火は我々の生のようであると言っていて、それが長いとも短いとも言っていない
・『舞踏会』の明子はアイスクリームを食べるので知覚過敏ではない
・『舞踏会』は『たね子の憂鬱』『糸女覚え書き』『おぎん』『おしの』『奇怪な再会』『南京の基督』といった比較的少ない女性を主役に据えた作品の一つである
・アメリカ人とイギリス人が出てこない
・飲み物が出てこない
・フランス人将校が舞踏会に参加した目的が曖昧である

 落し噺として読めば、『お菊さん』で散々日本人を醜いと書いていたピエール・ロティがお世辞で「美しい」と言ったことを三十二年間も唯一の手柄として自慢し続ける明子というものを皮肉的に発見してもいい。

 また『舞踏会』に「はかなさ」を発見してきた近代文学1.0に対してそんなものはどこにも書かれていないと指摘してもいい。

 ただ三島由紀夫が『舞踏会』に見たものは、そう言ったところではないような気がするという話を蛇足的に書いておきたい。

 私はそこで、「秋山図」や「舞踏会」や、「手巾」を選ぶ。「手巾」は短篇小説の極意である。
 上田秋成のやうな人間の五欲と人間嫌悪の強烈な作家が書いた短編集「雨月物語」は、時代をへだてて、おのれの資質に反して真摯誠実に生きようとした心弱い鬼才の短編集と、文学史上面白い対照をなすであらう。

(『芥川龍之介について』『決定版 三島由紀夫全集 28巻』新潮社 2004年)

 この「鬼才」の意味は『秋山図』で確認できたところだ。

 改めて登場人物の生没年と設定を確認してみて、これがぎりぎり成立する話だと感心した時、ぎりぎり成立するかどうかという設定を切り取る芥川の博識に驚くというよりは、やはりよくぞそこにそんな設定があり得たなという題材と書き手の邂逅に尋常ならざるものを覚えるのである。

 これが谷崎というもう一人の鬼であれば『法成寺物語』においてやはりそんな奇蹟のようなインチキのようなことが起こった。

 これは単に設定が上手いというような話ではない。こうした設定がないかと探して見つかるようなものではなく、この辺りを掘ればいい設定になるのではないかという間のようなものが当たるというやり方、つまり結果としての成功が必要であり、そこにはやはり運のようなものが必要なのではないかと思う。

 三島由紀夫に関して言えば最後の作品が仮構の現実化、仮構と現実の相克を成し遂げた。

 三島が取材のために京都・奈良の尼寺を歴訪し、ある尼寺で高齢の尼門跡に会ったときに、『春の雪』がどんな筋かと聞かれて、「宮様の許婚になった恋人を犯して妊娠させ、そのため恋人は剃髪遁世し、自分は病歿する青年の話」だと答えると、その尼僧が三島をじろじろと疑わしげに見つめて、「どこでそれをおききになりました?」と言い、逆に三島の方がびっくりし、自分の純然たる創作だと尼僧に言ったが信じてもらえなかったという。

(ウィキペディア「豊饒の海」より)

 鬼とはそうした尋常ならざる者に与えられる称号である。

 さてしかし「おのれの資質に反して真摯誠実に生きようとした」とはどういう意味か。芥川の資質とは?

 それは、

 それは夏目漱石に一目で見抜かれた性欲の強さではなかろうか。戒之在色、つまり平たく言えば、君はスケベすぎるから気をつけなさいと言われ、結局はその通りになってしまったのが芥川だとして、三島由紀夫はそれなのに「真摯誠実に生きようとした」と文学論に私生活の話を持ち込んでいるのだろうか。

 芥川には『好色』『開化の殺人』のような究極の変態小説もある。しかし『手巾』『秋山図』はいずれも色気の一切ない作品である。『舞踏会』も、我が娘を外国人の伽にしたてんとする不潔な明治の精神に準拠したとまで目くじらを立てるほどのこともない、フランス人将校との恋とも言えぬ一夜の思い出を抱き続ける老女の侘しいでも切ないでもない何とも言えぬ感じ、そのしみじみしたようなほかほかしたような詩的感興を描いた作品と見做せばよいだろうか。人間の五欲と人間嫌悪の強烈さというものはない。

 三島由紀夫が認めた『舞踏会』のよさ、芥川らしさは『舞踏会』を『お菊さん』にしなかったところであろう。

 もし本当のロティなら、明子をそのまま帰すわけはないのだ。しかし芥川はそういうことをさせなかった。自分ではしていたくせに。そういう意味では『舞踏会』のようなお上品な作品がもっとも芥川らしい作品と言えるかもしれない。



【余談】

 人間の五欲と人間嫌悪の強烈さに関して言えば『偸盗』にそんなものが出かかった。しかしどうも兄弟が仲直りしたりしてなかなか悪くなりきれない。誰に対しても怒鳴ったりしない優しい芥川の性格というものがどうしても出てしまうのだろう。
 


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