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谷崎潤一郎の『法成寺物語』を読む 顔はそうでもないけれど

 私のこのnoteの唯一の読者は谷崎潤一郎なのではないか。今時谷崎潤一郎なんて全然流行らないのに、谷崎潤一郎だけはこのnoteを読んでくれているのではないか。
 ふとそんなことを思う。『誕生』のたくらみがばれたと知るや、もう遠慮なしで天皇批判を始める。しかも、だ、私が『創造』で、「てやんでい、こちとら顔で小説を書いているわけじゃあねえんだよ」と御心を代弁したところ、すかさず不細工ながら稀代の名仏師・定雲を出してくる。しかも、だ、私が三島由紀夫の『天人五衰』の安永透を引き合いに出して、養子の難しさを指摘した途端、定雲を陰気にしてしまうのだからかなわない。谷崎潤一郎がツイッターでもやっていれば、ダイレクトメッセージを送って、LINEアカウントを教えてもらいたいな。
 とりあえず『法成寺物語』にはいいねしておこう。これは面白いぞ、谷崎。いまのところ一番面白い。設定が絶妙で、引き込まれる。

 谷崎潤一郎の『法成寺物語』は四幕の芝居だ。筋はなんということはない。藤原道長が自分の女の顔に似せて菩薩を掘らせ、それを拝ませようと企む。拝ませるのは衆生ばかりではない。御仏の前では一天萬乗の君も頭をたれることを見越してのたくらみだ。

其許の作りなさるる阿彌陀佛の御前に立てば、一天萬乘の帝てさへも御頭を垂れさせて、合掌なさるるでござらうがな。(谷崎潤一郎『法成寺物語』)

 谷崎はわざわざこう念押ししている。単にロジックから現れる仄めかしでは誰にも伝わらないことを、そろそろ実感し始めていたからだろう。その点最後まで一切譲歩しなかった夏目漱石と比べてどこか人間的である。いや、そもそも明治政府が行った廃仏毀釈、神仏分離によって天皇は仏教から切り離された。明治政府は仏教を切り捨てた。それなのに谷崎は大正四年になって、いまさらのように御仏の有難さに縋ろうという「雰囲気」と、偽物の菩薩を拝ませようという藤原道長の邪な企てを描こうというのだ。完全な明治政府批判である。

(四の御方) それでは大殿も妾も、世間の人を欺くことになりまする。
 (道長) 欺いたとてよいではないか。上はやむごとない殿上人から、下は卑しい奴婢の輩にいたるまで、いとしい麿の戀人の姿の前に跪いて、さても菩薩の有り難さよと合掌するのを眺めやつたら、此れに上越す喜びはなささうぢや。
(四の御方)とそのやうな狂はしい事を仰つしやりますな。世を欺いた咎めは兎も角、御佛の罰が恐ろしうござります。
(道長)あはあは、そなたは憶病な女子ぢやなう。(谷崎潤一郎『法成寺物語』)

 偽物の菩薩を拝ませれば仏の罰が当たると書かれている。明治政府に喧嘩を売っている。
 正気ではない。
 既に不敬罪はある。
 結果として阿弥陀仏の建立によって千載の加護が得られる筈が、1019年、藤原道長の極個人的な思い付き、その邪な企てにより、その千年後、2019年、世界は途轍もない事態に陥っているのではなかろうか。

 それはまさに我々がたんなる個人、菩薩でも阿弥陀如来でもない偶像を拝み続けた結果ではないのか。仮にも誰かに拝まれるほどの資格があるなら、こんな事態には責任を取らなくてはなるまい。今からでも遅くはない、私には何の力もありませんと告白すべきなのだ。そう百年前に谷崎潤一郎は書いているのだ。この入り組んだロジック、物凄い設定だ。

 遠い古の話だが、大和國の法華寺にある十一面觀世音は忝くも天平の昔聖武帝の御后光明皇后の御顏を写し取ったものだと道長は云う。(余談のところに画像を貼っておいたので確認してもらいたい。さもありなんという感じがする。)だから、其方「四の御方」の姿を寫し取るのに何の不思議もないではないか、とも。
 それに対して「四の御方」は「いかさま其のやうな傳說は、妾も聽いて居りまする。一天萬乘の帝の御后なら、人間とは云へ菩薩も同し貴いお方、卑しい妾の身の上とは比べもの物になりませぬ」と答える。これはあからさまに谷崎が「皇后ってそんなに偉いのかね?」と問うているところだ。
 谷崎はこれまで本当のドミナなど存在しえないこと、それはマゾヒストの願望によって創作されるものであることを繰り返し主張してきた。その点谷崎はあくまでも変態的というより理智的なのだ。
 マックス・ウェーバー支配の三類型は誰でも知っていよう。伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配。明治政府はこのどれでもない。田舎侍に担がれた幼帝。ましてや大正政府はもうぐちゃぐちゃだ。
 夏目雅子の三蔵法師にはエロティックを通り越した神々しさがある。ダイアナ妃は確かに魅力的ではあったが、菩薩ではない。山口百恵も菩薩ではない。では誰が菩薩たり得るのか?
 それは菩薩だけだろう。そんな当たり前の理屈を谷崎は書いている。
 この『法成寺物語』は実によくできた話なので結びまでの流れとおちは書かない。未読の人かいれば、ぜひ読んで貰いたい。

 あと、本来は余談ながらまた谷崎がやらかしていることを指摘しておく。
 この作中に聖武天皇が建立した東大寺、という文言がある。
 

 天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出している。(ウイキペディア「聖武天皇」より)

此奴の顔が醜いのは、生まれつきばかりでもござませぬ。去年の春頃世に蔓つた疱瘡と申す流行病に祟られて、さらでも强い目鼻立ちが、このやうに淺まなしう成り果てました。(谷崎潤一郎『法成寺物語』)

 と定雲の顔が去年の春に流行った天然痘の所為で醜くなったと書いてある。ところが作中では大宰府から藤原隆家が京に戻り、この寺を訪れ道長と歓談する場面がある。藤原隆家といえば、

 同年12月に大宰権帥を辞して帰京(後任は藤原行成)。帰京後の朝廷において、刀伊を撃退したことに対する功績により隆家の大臣・大納言への登用を求める声もあったが、帰京後の隆家は内裏出仕を控えていたため昇進の沙汰はなかったという。一方で、翌寛仁4年には都に疱瘡が大流行し、刀伊が大陸から持ち込んだものが隆家に憑いて京に及んだものと噂された。(ウイキペディア「藤原隆家」より)

 ということになっており、この物語の翌年の(さらにひどい)天然痘の流行がこっそり仄めかされている。まさに仏の罰か。また藤原道長も翌年、病にかかり剃髪し、東大寺で受戒している。糖尿病から免疫不全、敗血症、多臓器不全となって死んだとされる藤原道長のその罪を描いたという点では、

『法難』などから比べると、先年谷崎潤一郞氏が書いた、『法成寺物語』なみだどはよほど宗教味にとんだものであつたことを、今思ひ出します。(暁烏敏『前進する者』)

 こんなストレートな解釈もありかもしれない。

又谷崎潤一郞氏も屢々平安朝を描いて居り、「誕生」や「法成寺物語」などの如くに、古き時代は現實的手法で再現されてゐる。(風巻景次郎『文学の発生』)

 現実的手法というのはよく解らないなあ。なんにせよ、いざとなれば藤原道長を罰したことにして、お上に逆らおうなんてそんなつもりは一切ございませんと逃げ切れるように書いている。それが現実的手法か?
 なら風巻景次郎は気が付いていたのかな?

昭和初期の風巻による中世文芸の見直しにより、文壇にも谷崎潤一郎『吉野葛』など中世ものの傑作が生まれた。保田與重郎『後鳥羽院』などもあり、南朝を吉野朝と呼ぶ南朝正統論と相まって、昭和戦前の文化全体に与えた影響は大きい。古今、新古今の見直しは、昭和後期の大岡信、梅原猛、菱川善夫らによって引き継がれている。(ウイキペディア「風巻景次郎」より)

 風巻景次郎の手柄みたいになっているけれど、これでいいのか。




【余談①】『法成寺物語』の言葉たち

法成寺

後一条天皇


堂宇 四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物。
檜皮葺(ひわだぶき)とは、屋根手法の一つで、檜(ひのき)の樹皮を用いて施工する。

内陣 寺院の本堂内部において本尊を、神社の本殿内部において神体を安置する場所。
須弥壇 仏教寺院において本尊を安置する場所であり、仏像等を安置するために一段高く設けられた場所のこと。須弥山に由来する。
天蓋 天に懸(か)けられた蓋(がい)の意で、仏像や導師の上にかざす装飾的な覆いをいう。 古来からインドでは強い日射しを避けるため、貴人の外出にはつねに傘蓋(さんがい)で覆う習慣があり、これが仏教の荘厳具(しょうごんぐ)として用いられるに至ったとみられる。

虹梁 虹形に上方にそり返った梁。
丈六

阿弥陀仏

脇侍

〈わきじ〉ともよみ,士,挟とも書く。 仏像で本尊の両するもの。 釈迦・阿弥陀・薬師などの各如来の両する文殊・普賢,観音・勢至,日光・月光(がっこう)の各菩薩,不動明王の両する矜羯羅(こんがら)・制【た】迦(せいたか)の2童子など。

九品蓮台 極楽浄土に往生するとき、連れていってくれる蓮の台。 また、その浄土に化生する蓮の台。 九品のうてな。

木賊椋葉 ともに研磨剤
睦月の晦日 むつきのつごもり みそかとも いちがつのさいしょうび
大江山 京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山。
播磨の國 兵庫県南西部
聖武天皇 しょうむてんのう、701年〈大宝元年〉 - 756年6月4日〈天平勝宝8年5月2日〉)は、日本の第45代天皇(在位:724年3月3日〈神亀元年2月4日〉- 749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉)

あめのみかど 朝廷。 皇居。 また、天皇。 皇室。安米乃美加度。
東大寺

多武峰

山階寺

奈良市登大路町にある法相宗の大本山、興福寺の古称。 はじめ山城国山階(京都市山科区大宅)に創建されたころの称。 山科精舎(しょうじゃ)。

基経大臣

極楽寺

格天井 ごうてんじょう 木を組んで格子(こうし)形に仕上げた天井。
十方世界 十方に存在するすべての世界。全世界。
勢至菩薩 知恵の光で生あるものすべてをすくうという菩薩。 阿弥陀三尊のひとつ。
八功德水

須弥山の至福の池と内海、七つの黄金山は八つの徳の水で満たされている。 「無量寿経」には、「八徳の水は満ちて清く香ばしく、甘露のごとく味わう」とある。 浄土礼賛の経典に「八徳の水とは何か」とあります。 一は清く、二は涼しく、三は甘く、四は柔らかく、五は潤い、六は安らかで、七は飲めば飢えや渇きなど無数の苦悩から解放され、八は飲めば必ず根の四大利益を持続させることができる。 最初の7つは最初の、最後の1つは最後の、そしてその中間の8つの海です。 最初の7つは内七と呼ばれ、それぞれ一は甘、二は冷、三は柔、四は軽、五は清、六は臭、七は飲んでも喉を傷めない、八は飲んでも腸を傷めないという八つの徳があります。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BD%9B%E5%AD%B8%E5%A4%A7%E8%BE%AD%E5%85%B8/%E5%85%AB%E5%8A%9F%E5%BE%B7%E6%B0%B4

長押

呉道玄 唐代玄宗朝に仕えた画家。
巨勢金岡 平安時代前期の貴族・宮廷画家。

仏法王法

千載 一千年。また、長い年月。

天稟 てんぴん うまれつきの性質・才能。稟をぴんと読ませるのは珍しい。
尊容 仏像や高貴な人の、尊いお顔・お姿。転じて、他人の容貌(ようぼう)を敬って言う語。
苦衷 苦しい心の中。
浦曲 上代語で「み」とよむべき「廻」を旧訓で「わ」とよんだために生じた語
大殿 宮殿や貴人の邸宅の敬称。
祝着 喜び祝うこと。喜ばしいこと。慶賀。
いしくも けなげにも。殊勝にも。よくも。
紫磨金 しまごん 紫色を帯びた純粋の黄金。 最上質の黄金をいう。
円満 神仏の功徳(くどく)などが満ちたりて欠けた所のないこと。
浄土の快楽 煩悩から解放されて得られる安楽、また浄仏国土において得られる安楽のこと。
結縁 仏道に入る縁を結ぶこと。仏道に帰依(きえ)すること。
藤原隆家

大貮「大宰府(だざいふ)」の次官の一つ。「少弐」の上位。
したが であるが。 だが。
刀伊の入寇

稜威 みいつ 尊厳な威光。 天子・天皇の威光。 
陸路 くがじ

ばら ども、なかま。
地子 日本の古代・中世から近世にかけて、領主が田地・畠地・山林・塩田・屋敷地などへ賦課した地代を指す。
官物 律令制において租庸調以下、租税として朝廷及び令制国に納入された貢納物のこと。
僭上 身分を越えて、差し出たふるまいをすること。僭越。
憍慢 偉ぶって人を見くだすこと。おごりたかぶったさま。
三師比丘が具足戒を受ける際に、師として場に臨んでもらうことを請うべき三人のこと。
五戒 仏教において性別を問わず、在家信者が守るべき基本的な五つの戒(シーラ)のこと。
三十六部の善神

恒河 ごうが
沙眷属

天王寺

便ない 具合が悪い。 都合が悪い。 不便だ。便秘じゃないよ。
鏗然
平舞台 歌舞伎で、大道具の飾り方の名称の一つ。舞台にじかに背景や切出しなどの装置を置くもので、一段高く飾る坂道や二重舞台に対する。
わらうだ  わろうだ わらふだ  藁(わら)、藺(い)、蒲(がま)、菅(すげ)などを渦巻状に編んだ、円形の敷物。 円座(えんざ)。 わらざ。
念珠所?
大海の摺裳 白絹に木型で模様をすり出した裳。地摺(じずり)。

http://journal.otsuma.ac.jp/2017no27/2017_410.pdf

法華寺

https://hokkejimonzeki.or.jp/about/history/


十一面観音

太政大臣為光

弘徽殿 平安京内裏十七殿の一。 清涼殿の北にあり、皇后・中宮・女御などの住居。 こうきでん。 に住む皇后・中宮・女御などの女性の称。
善知識 人々を仏の道へ誘い導く人。 特に、高徳の僧のこと。
上﨟「上﨟󠄀女房」の略。二位・三位の典侍など、身分の高い女官。
賤 しず 卑しい身分。
帰依渇仰 きえかつごう

苦患 くげん 苦しみ。悩み。
頻婆果 びんばか やさいからすうりの実

弘誓 ぐぜい 菩薩(ぼさつ)が自らの悟りと衆生(しゅじょう)の救済を願ってたてる広大な誓願。
色身 しきしん 三十二相をそなえた仏の生身。法身。
大德 だいとこ  修行を積んだ高徳の僧。
有為転変 万物が常に変化してやまないこと。
百済川成 平安時代初期の貴族・画家。
瑞祥 めでたいことが起こるという前兆。吉兆。祥瑞。
冥護 神仏が人知れず守ってくれること。
頴脱 才能が、群を抜いてすぐれていること。
雋敏 しゅんびん 才能があって、さとりが早いこと。 また、機転が利いて行動がすばやいこと。
指 および
華台院http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA%E8%8F%AF%E5%8F%B0%E9%99%A2

惠心

命終 生命が終わること。死ぬこと。
引接 引摂(いんじょう)ある人を他の人にひきあわせること。
梵音相

糺命 きゅうめい
地體 物事の最も根本的な姿。 根底。 本質。
ねび整ふ 成長して立派になる。
引目鉤鼻 平安時代のやまと絵の表現技法の一つ。 長い黒髪と面長の顔に細い筆線のやや長めの目を引き,同じ筆線で鉤状の鼻を描くこと。
優婉豊麗  ゆうえんほうれい
荘厳無垢

相好 そうごう かおつき。表情。
坂田金時
渡邊綱

【余談②】顔はそうでもないけれど

 法華寺の十一面観音がこれだとしたら、顔はそうでもないけれど、少し猫背の斜め後ろから見た感じは髪型と云い確かに光明皇后といっても可笑しくない感じがする。

 それにしても感心するのはよくこんな絶妙な素材を拾ってくるなと云う事。神童だからできる事じゃないよ。これは。



中国とロシアと同じ…。




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