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芥川龍之介論2.0

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#創作大賞2024

芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか③ 昼間寝ているのか

芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか③ 昼間寝ているのか

 時代や歴史や人生などというものは年寄りの特権的なもので、若い時はいつも目の前の現実しかなかった。振り返る時間もなかった。今もそうしてできるだけ目の前を見て生きようとしているが、つい時代や歴史や人生を突き付けられてしまう瞬間がある。

 芥川の『玄鶴山房』もそうした作品だ。前回は「文化竈」に引っかかったがよく読むとその前に「文化村」が出て来ていた。

 今、「文化」のつく言葉というと「文化包丁」と

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芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか② 気持ちはわかる

芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか② 気持ちはわかる

 病人の息の臭いのが嫌い。

 まさに家族のリアルである。

 道路に聞こえる大声で老婆を叱る嫁らしき女が「またそんなところに糞しやがって」と叫ぶのを聞いたことがある。
 実際道路で驚いた。

 しかし現実の生活というものはそういうものだろう。

 芥川がこの時期なぜこのような設定を用意したのかは解らない。しかしこれが自分自身とは全く無関係な作品ではないとしたら、やはりこの病人に対するリアルな感情

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夏目漱石論のために② 「差」というものはある

夏目漱石論のために② 「差」というものはある

実子ではないかもしれない疑惑

 近代文学1.0の世界においては夏目漱石作品に関して「実子ではないかもしれない疑惑」というものが議論されてきた作品は『坊っちゃん』のみである。しかし『僕の昔』において実在した「清」のモデルが漱石自身によって「老婢」と呼ばれており、『吾輩は猫である』『門』の「清」などについて考えてみてもやはり「清実母説」そのものははなはだ怪しい。これはあくまで成り立たないけれど怪しい

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芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか① 保吉ではないんだ

芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか① 保吉ではないんだ

 たまたまなのか何なのか芥川龍之介の『玄鶴山房』に関して私はこれまでまともな記事を一つも書いてこなかった。

 うっかり?

 そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

 いずれにせよ、書いておこう。

 中央公論昭和二年一、二月号に発表される『玄鶴山房』は前年の十二月頭には書き始められていて本人の自覚としては「陰鬱極まる力作」ということらしい。この時期複数の作品が並行して書かれていた可能

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佐藤春夫の『病める薔薇』の落書きをどう読むか① 虎じゃなくて猿じゃないか

佐藤春夫の『病める薔薇』の落書きをどう読むか① 虎じゃなくて猿じゃないか

 三島由紀夫の『花ざかりの森』が佐藤春夫の『指紋』由来ではないかと調べていたら、やたらと書き込みのある『病める薔薇』に出会った。見出し画像がそれである。

 この本の持ち主は何か書いている人らしい。

 そうでなければここに線は引かない。

 こうして試し書きがされる。割と達筆な、しかし読みやすい文字を書きなれている人の字だ。

「このあたり阿部次郎の『三太郎の日記』乎『理想の家』を思い出させる」

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その日は徹夜した 芥川龍之介の『かちかち山』をどう読むか①

その日は徹夜した 芥川龍之介の『かちかち山』をどう読むか①

 案外なのか何なのか、芥川龍之介は戦争というものを当初そんなに意識していなかった。

 そんなこともないか。

 つまり自身が海軍将校になるかもしれないと考えたこともあり、海軍機関学校に英語教師として勤務したこともあり、太宰的な感じで森鴎外の軍服姿を嫌悪したり、戦争は悪だ、みたいな発言をしたりという、厭戦的なものは見えなかった。
 なんというか、戦争とは直接かかわりはしないけれど、どこかにあり、社

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芥川龍之介の『河童』をどう読むか③   だから蛙なんだ

芥川龍之介の『河童』をどう読むか③   だから蛙なんだ

 芥川の『河童』が寺田寅彦の河童像に反して、亀ではなく蛙の化け物として描かれていて、痩せすぎていて、黴毒のことはそんなに深刻に考えなくてもいいのではないかと書いた。
 むしろ芥川には明確に蛙の化け物としての河童を描こうという意思があり、そのために河童の言語は、

 このように「qu」が意識して使われていて、あたかもケロケロという蛙の啼き声を模しているかのようである。

 また、

 こうした赤と緑

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