2024年7月の記事一覧
芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか④ 「ぐるぐる芥川」
人間にはこんなこともできるのだ。
つまり「死ぬ間際になって」、いかにも重吉目線で語りますよと見せかけたところ看護婦目線にスイッチしたかと思えば、もう看護婦はどこかへいなくなっている。
お鈴が玄鶴の妾を迎える。
つまりもうお鈴目線なのである。
さすがに妾目線であれば引っかかるところ、重吉がいないのだからお鈴が迎えるしかない。
芥川は「死ぬ間際になって」こんなことをやり始めたのか
芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか③ 昼間寝ているのか
時代や歴史や人生などというものは年寄りの特権的なもので、若い時はいつも目の前の現実しかなかった。振り返る時間もなかった。今もそうしてできるだけ目の前を見て生きようとしているが、つい時代や歴史や人生を突き付けられてしまう瞬間がある。
芥川の『玄鶴山房』もそうした作品だ。前回は「文化竈」に引っかかったがよく読むとその前に「文化村」が出て来ていた。
今、「文化」のつく言葉というと「文化包丁」と
芥川龍之介の『玄鶴山房』をどう読むか② 気持ちはわかる
病人の息の臭いのが嫌い。
まさに家族のリアルである。
道路に聞こえる大声で老婆を叱る嫁らしき女が「またそんなところに糞しやがって」と叫ぶのを聞いたことがある。
実際道路で驚いた。
しかし現実の生活というものはそういうものだろう。
芥川がこの時期なぜこのような設定を用意したのかは解らない。しかしこれが自分自身とは全く無関係な作品ではないとしたら、やはりこの病人に対するリアルな感情
夏目漱石論のために② 「差」というものはある
実子ではないかもしれない疑惑
近代文学1.0の世界においては夏目漱石作品に関して「実子ではないかもしれない疑惑」というものが議論されてきた作品は『坊っちゃん』のみである。しかし『僕の昔』において実在した「清」のモデルが漱石自身によって「老婢」と呼ばれており、『吾輩は猫である』『門』の「清」などについて考えてみてもやはり「清実母説」そのものははなはだ怪しい。これはあくまで成り立たないけれど怪しい