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ヒッチハイク紀行文㉘ 宮島SA〜鹿児島

4月6日、10日目、晴れ。
深夜2時、起床。
4、5時間ほどの仮眠だったが、正直あまり寝た気がしない。
辺りの建物の明かりが消えていたので公園内は就寝時よりも更に暗かった。
スマホの明かりを頼りに身支度を整え、出発。

「お世話になりました」

憑りつかれたりするのも嫌なので、しっかりと公園にお礼を言ってから出てきた。
丑三つ時の真っ暗な山を15分ほど下って、再びPAに戻る。
しばらくして明かりが見えてきた。
早歩きでPA内へと入る。
ようやくセーフティゾーンに入れた気がしてホッとした。
トイレを済ませてヒッチハイクを開始するも、いかんせん人があまりいない。
トラックの運転手はまだ車内で寝てる様子だ。
乗用車にも声をかけるが中々成功しない。
すると、僕がヒッチハイクをしていた場所のすぐ目の前に停車していた車が、見かねて声をかけてくれた。


「次のパーキングエリアだったらそこそこ大きいから捕まりやすいと思うよ」


こうして次のパーキングエリアまで乗せて行ってもらうことになった。
行き先などを運転手と確認している間、隣に停めていた車のおばちゃんが話しかけてきた。


「これよかったら食べんさい」


手作りのおにぎり2つとサンドイッチをくれた。


「味の保証はないけど」


もちろん、ちゃんと美味しかった。

その男性は現在、発電所の設計に携わる仕事をしているらしい。
本人が現場監督を務めているため、毎日遅くまで残って仕事をしているという。
今日も0時過ぎまで現場の作業に付き合い、そこから車で帰宅中だったところ、眠気に襲われPAで仮眠をとっていたらしい。
明日も朝早くから仕事だと言うから大変だ。
平日はそんな生活を毎日送っているという。

「仕事の日はバリバリ働く、休みの日は思いっきり遊ぶ。それが俺の生き方よ」

そう語る彼は、先日と仲間とツーリングに行ったりバーベキューをやったりしたらしい。

「別れた女房と娘がいてな……気が付けば大学生になってたよ」

彼はもう何年も前に離婚しているらしく、娘とも3年以上会えていないと言う。

「娘が会おうと言うまでは俺は会わんし、会おうか会うまいか決めるのも娘」

出張でほとんど家に居られなかった頃に、幼い娘が書いてくれた似顔絵の話をしてくれた。

「今でもよく思い出すよ」

その時の彼の表情は、今も忘れない。
僕の父も、僕のことを想う瞬間があるのだろうか。
その時の表情は、どんなだろう。

次のサービスエリアに着いた。

「人生迷走」

短い言葉を『じゆうちょう』に残し、彼は自宅へと帰っていった。
そのSAは24時間営業の食堂があり、室内で座ることができた。
しかし未だに人はまばら。
トイレに行く人やショップを見ている人に声をかけるも成功ならず。
4時までが高速道路の深夜料金の関係でゴールデンタイムなはずなので、3時を回ったあたりで少し焦り始めた。
目を覚まして集中しなければ。
それから30分後くらいだろうか。


「山口の方行かないですか?」


毎度のごとく通行人に尋ねると、「行くね」と、軽いノリで返してくる人と出逢った。

「え!?すみません、今ヒッチハイクしてまして……」

「見たらわかるね」

「乗せて行ってもらえたり...…」

「うん、ちょっと考える」

そう言って食堂の方へ行ってしまった。
ちょっと難しいかなと思い、一度トイレで休憩することにした。

戻ってくると、その人がキョロキョロと誰かを探していた。僕だった。

「それじゃ行くかー」

「ありがとうございます!」

さらっと成功してしまった。
話によると、その人は佐賀まで行くらしい。
福岡まで連れて行ってもらえることになった。
大きな先進だった。



その人の話は面白く、3時間を超える道中はあっという間だった。
色々な知識があり、たくさんのことを教えてくれた。
佐賀まで遠距離恋愛中の彼女に会いに行くらしく、兵庫から車を走らせているらしい。

「俺のことはネットで特定できないようにしてくれよ。じゃないと訴える」

めちゃくちゃ怖いことを言われてしまったので、会話の中身は割愛する。
写真と「じゆうちょう」への記入も断られたが、途中で関門海峡をゆっくり見られるようにとPAに寄ってくれたり、そこでうどんを奢ってくれたりした。
口では、
「食べてる間に置いて行くから、トラック適当に捕まえて鹿児島まで行ったらいいよ。そっちの方が1本で行けるじゃん」
なんて言うけれど、ちゃんと戻ってきてくれる天邪鬼な優しい人だった。




福岡の古賀サービスエリアで降ろしてもらった。
時刻は朝の6時半。
疲れたので室内の食堂で少し仮眠。
起きると、外の駐車場で警察が何やら作業を始めていた。
ヒッチハイクしにくいかなと思い、彼らに隠れてコソコソとやることにした。
しかし、ヒッチハイクは立地が肝心。
人通りが少なすぎて苦戦していると、掃除のおばちゃんが声をかけてきた。


「ここじゃなくて真ん中の入り口のところでやればいいのに」

「いや、なんか警察いるじゃないですか」

「なーに、何も言われないから大丈夫よ」

たしかに何も言われなかった。
警察の人たちは何かの準備をしていた。
今日は交通安全教室があるらしい。
僕がヒッチハイクをしているポイントにブースを作り始め、関係者が何十人も集まってきた。正直、かなりやりにくい。
とは言え、明らかにお邪魔なのは僕の方なので、仕方なく空いてるスペースで実施。
2時間苦戦したところで、ようやく50歳ぐらいのお母さんに声をかけてもらった。

「熊本行くよ。乗る?」

その人は農家の長女だった。
3人姉妹でそれぞれが子供を3,4人授かったため、大変な大家族らしい。
さらに旦那さんの兄弟3人も全員が3,4人の子供がいるとのことで、盆や正月でさえも全員集まることは滅多にないとのことだった。
今日は下関にいる妹家族に会いに行った帰りだという。
今後農家をさらに拡大する計画があるらしく、大変だが日々やりがいを感じているとのことだった。

「私はね、家族に恵まれて本当によかったなぁって思うとよ」

大家族はあちらこちらで問題が起きて大変だと言うが、いざという時は一致団結して集まれる。
長女として、家族をまとめあげる立場は大変なことも多いが、おかげでとても充実した日々を送ることが出来ていると言う。
住所を教えてくれればお米を送ってくれると言うので、紙に住所を書いて渡した。
お母さんも、『じゆうちょう』に一言書いてくれた。

「子ども達が毎日笑顔で頑張ってくれたらうれしいなぁ~」

熊本を再び訪れた際は必ず会いに行くことを約束し、そのお母さんと別れた。



11時半頃、熊本の玉名パーキングエリアに降り立った。
腹ごなしにコンビニの前の座席で深夜にもらったおにぎりを食べていると、老夫婦の主人が話しかけてきた。


「あんたはなに、旅人かい?」


「そうです、ヒッチハイクで東京から来ました。」

「そりゃ大したもんだね。ワシらも元々東京でね、だいぶ前に転勤でこっちに来たんよ」

その老夫婦にも一言書いてもらった。

「青年の勇気に元気をもらいました(84歳)
 頑張ってください」
「私も転勤の中出逢いました。頑張ってください(52歳)」

かなり歳の離れた夫婦らしかった。
こういう何気ない出逢いは旅の宝だ。
大切にしていきたい。
その後ヒッチハイクを開始するも、1時間経っても成功しない。


「ここから鹿児島に行く人を探すよりも、次の宮原サービスエリアまで行く人を探した方がいい」


通行人からアドバイスをもらい、行き先を変えて何度かトライするもうまく行かない。
とりあえずそのパーキングエリアで名物だと言う目玉焼きそばを食べ、20分ほど休んでから再開することにした。
すると、休憩後10分と経たずに成功。
本当、これはタイミングなんだなぁと実感。



その人は宮崎が地元のお父さんだった。
ずっと福岡に単身赴任していたが、4月から宮崎に異動になったとのことで、ちょうど引っ越しの最中らしい。
しばらくぶりに家族と一緒に住めるとのことだった。
引っ越しの荷物で車はパンパンだが、助手席に荷物が収まるならとのことで乗せてくれた。
その人は建築関係の仕事をしているらしく、家を建てたい人の要望を聞きながら図面などを書いているらしい。
一級建築士の資格を持っており、毎日とても忙しいとのことだった。

「久しぶりに奥さんと暮らすからさ、ちょっと緊張しちゃうよ」

頭を掻きながらそう語るお父さんが、なんだか面白かった。


宮原サービスエリアで降ろしてもらい、そのままヒッチハイク開始。
時刻は15時前。
もしうまくいけば、17時半最終受付の鹿児島発、奄美大島行きのフェリーに乗れるかもしれない。
しかしそんな邪念はヒッチハイク成功の妨げになる、などと葛藤すること5分。
30過ぎくらいのご夫婦が話しかけてきた。

「これ、よかったら食べて。乗せられんけど」

そのサービスエリアで売っているメロンパンだった。
感謝を伝えて再びヒッチハイク開始。
一つ一つ頂く優しさが励みになる。
それから15分ほどして、老夫婦が通り過ぎた。


「鹿児島行きませんか?」


「ほら、お父さん鹿児島だって」

「うん。まぁ、でもなぁ」

お母さんは最後まで僕を心配そうに見ていたが、お父さんが煮え切らない様子だったので、名残惜しそうに行ってしまった。
仕方ない、こう言うことは今までたくさんあった。
切り替えて何人かの人にアプローチしていると、再びさっきのお母さんが話しかけてきた。


「鹿児島のどこに行くの?」

「明確には決めてません、フェリー乗り場あたりですかね」

「私は市内に行くよ。乗る?」

「いいんですか!」


こうして、最後のヒッチハイクが成功した。




2人は車で全国を飛び回っているらしい。
飛び回ってると言っても旅行ではなく、お父さんが全国各地で仕事をすることが多いため、そのたびに車をフェリーに乗せて、各地を観光しているらしい。北海道一周なんかもしたそうだ。
お父さんは発電所に勤めていて、70歳まで働くと言う。
お孫さんは現在20歳。お子さんよりお孫さんの年齢の方が僕と近かった。
2人はそれぞれ長崎と鹿児島出身。
今日はお母さんの実家である鹿児島に帰るところだったらしい。
お母さんが奄美大島行きのフェリー乗り場の場所をスマホで調べてくれた。
そこまで連れて行ってくれると言う。
ありがたい。
本当は沖縄がゴールのつもりだったが、神戸のゲストハウスで出会ったスタッフの平松さんが奄美の知り合いを紹介してくれ、色々案内してくれることになったので、急遽行き先を変えたのだ。


「今日は道路が混んでるねぇ」

僕からするとかなり空いているように見えたが、そんなことはないらしい。
ただフェリーには間に合うから、奄美には今日中に行けるとのことだった。


「今度来た時は鹿児島もゆっくり観光してね。連絡してくれれば案内するから」


お母さんと連絡先を交換した。

「東京に行った時は宜しくお願いします!」

『じゆうちょう』へ2人のメッセージをもらい、東京に来た際は僕がおもてなしすることを約束して、連絡先を交換した。
別れ際、桜島をバックに、3人で写真を撮った。
仲良さげに腕を組む2人を見て、僕も素敵なパートナーとこんな風に過ごせたらなと思った。

「気を付けてね」

「はい。またご連絡します!」

握手をして2人と別れた。


ついに念願の鹿児島まで来た!
東京を出発し、とりあえずのゴールにと定めた場所へたどり着いたのだ。

(やり遂げた…!)

僕は達成感を噛み締めていた。
とは言え、いつまでも感傷に浸っている余裕はない。
時刻は17時過ぎ。
18時発のフェリーは17時半が最終受付。
どうやら間に合いそうだ。
フェリーの受付で料金や到着時間を尋ねる。
18時に出港して、明日の朝5時前に到着するらしい。
2等席で1万円。
寝台にグレードアップすると+2千円ほど。
疲れ切っていたので、2等の雑魚寝部屋じゃなく寝台の方にした。
料金をカードで支払ったところで、手持ちの現金が全く無いことに気付く。


「この辺にATMはありますか?」


「うーん、ないねぇ。近くにコンビニはあるけど、歩いて10分かかるから...。」


時刻は17時25分。
17時45分には乗り場にいて欲しいとのことだった。
受付のお姉さんにお礼を言い、ダッシュでコンビニへと向かった。
そこでお金を降ろし、夕飯を買って滑り込みセーフ。

港にはお見送りの集団が50人くらい居た。
鹿児島と沖縄間は毎日フェリーが行き交っているので若干大袈裟に思えたが、こう言う風景は中々素敵だった。
もしかしたら、しばらくのお別れになる人もいるのかもしれない。
大切な人を想ってお見送りにいく。
僕の体験したことのない文化だ。
船内に入り、デッキに出る。もうすぐ夕暮れ。
桜島がとても綺麗に見えた。
ユーチューバーらしいカップルが、海や夕陽、桜島をバックに撮影していた。
コンビニで買った夕飯をデッキで食べ、シャワーを浴びて部屋へ行く。
8人部屋だったが、僕を含めて4人しかいなかった。
レストランで野球観戦をしている人なんかもいたが、疲れ切っていたので早々に寝た。
今回の旅を振り返る。
僕はヒッチハイクでここまで来たのだ。
途中電車を使ってしまったりもしたが、何はともあれ僕は今鹿児島にいる。
今日ばかりは自分を褒めたい。
明日の朝にはいよいよ奄美大島に着く。
どんな出会いが待っているだろうか。



10日目に使った金額、14,443円。
フェリー代を除くと1,883円。
波の揺れを感じながら、僕は眠りに落ちた。

続く。

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