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ヒッチハイク紀行文㉓ 灘〜岡山

国道二号線に出て、「姫路」と書かれたスケッチブックを掲げる。
下道での場所探しにはだいぶ慣れた。
大きな道路には大抵コンビニか大手チェーン店があり、それらのお店には大体大きな駐車場がある。
その数十メートル手前でスケッチブックを掲げれば、運転手が僕を認知して、乗せるかどうか検討して、実際に車を停めるまでの時間を確保することができる。
信号があれば尚更完璧だ。
赤信号で停まっている車一台一台にスケッチブックを見せていくことで、運転手が考える時間を更に確保することができる。
僕はその要領でヒッチハイクを行った。
スケッチブックを掲げる僕と、ものすごいスピードで通り過ぎる車。
こちらに一瞥もくれない人、助手席の人と談笑する人、笑顔をくれる人、びっくりしたような表情をする人、二度見する人、手を振ってくれる人、写真を撮ってくる人、みんなそれぞれ違った反応をする。
彼らはどこに行くのだろう。
彼らは何を想うのだろう。
ヒッチハイクの旅を開始してから、今日で6日目。
これまでで沢山の人と出会い、沢山の人の話を聞いてきた。
僕がこのスケッチブックを掲げて、それを見た人が停まってくれなければあり得なかった出会い。
僕はこの旅で何を得たのだろう。
何を探しているのだろう。
灘で出会った人たちは、みんな温かかった。
一時的にだが、彼らの温もりに触れて、僕も彼らの輪の中に入れた気がした。
じゃあ僕は元々何の輪の中にいたのだろう。
職場?友達?恋人?家族?
僕は今まで、ひとりきりでも平気だった。むしろ僕を輪の中に引き入れようとするエネルギーから自ら遠ざかろうとさえしてきた。
しかし、児童館での仕事やシェアハウスでの生活で沢山の人たちと密に関わるようになって、輪の中に入ることの温もりを覚えた。
世界には自分ひとりきりではない。そう思えるようになった。
はて、過去の僕は何でひとりになろうとしていたのだろう。
そもそも過去の僕は本当にひとりきりだったのだろうか。
灘の人たちは、なんでこんなにも健やかなのだろう。

ブー、ブー

携帯のバイブ音が僕を現実へと引き戻した。
仕事中の秀明さんが、ヒッチハイクが成功したかと心配して電話をくれたのだ。
彼らは当たり前のように、他人のことを考えている。
それは自分自身が他人から考えられ、想われた経験をたくさんしてきたからだ。
他人から満たされた経験をした人は、自分も同じように他人に分け与えようとする。
僕はこの旅で、人々の目に見えないエネルギーを感じる瞬間が多々あった。
僕を東京からこの場所まで運んでくれた人々のエネルギー。
それは、人類が長い歴史をかけて紡いできた「想い」というエネルギーだ。
現代に生まれた僕は、当たり前のようにお金を様々なエネルギーに変えてきた。
神戸に来るのだって、お金の持つエネルギーを新幹線のチケットに変換すれば、3時間半程度の時間で叶う。
僕はそれを、沢山の人に助けられて、6日間もかけてきた。
そんな今の僕は、今まで乗せてくれた人たちの「想い」を背負っている。
各人が、それぞれ周りの人たちに与えてもらったエネルギーは、現在僕のところにあるのだ。
そんな大切なものを、利己的な理由で使いたくはない。
僕はそういう思いだった。
世の中には、生きるために必要なエネルギーを十分に与えられずに生きてきた人たちがたくさんいる。
その人たちの渇きは、様々な形の負のエネルギーによって一時的に補充される。
酒、暴力、暴言、ドラッグ、肉欲。
その負のエネルギーは、同じように子孫へと受け継がれる。
僕はその事実に、ただただ閉口するほかない。
僕を乗せてくれた人たちは、正のエネルギーを循環させる、いわば世界の希望だ。
このエネルギーを絶やしてはならない。
僕にできることってなんだろう。
もしかしたら僕は、この旅でその答えを探し求めているのかもしれない。
僕と言う存在に出会った人たちが、「じゆうちょう」をきっかけに少しでも自分と向き合うことが出来て、自分らしさに気付くことが出来て、さらにはその人の幸福度が多少でも上昇すればどんなにいいか。
僕もこの正のエネルギーを循環させよう。
今の僕は、素直にそう思った。

その後、僕は車関係の中小企業の社長さんに姫路付近のPAまで乗せてもらい、さらにそこから役所の生活保護課で働いている30歳ぐらいのお兄さんに岡山駅まで運んでもらって、現在は岡山駅近くのゲストハウスに宿泊している。
2人との会話を思い返す。
社長さんは跡取りのことで頭を悩ませていた。
現在50歳で、娘が2人。娘には無理に会社を継ぐように言いたくはない。
しかし社員の生活もある。
会社を売却することもできるが、それで社員同士の人間関係が悪化して会社が傾いては元も子も無い。

「じゃあ、どうするんですか?」

「わからん」

社長は笑いながらそう言った。そして、こう続けた。

「ただな、今こうして僕が社長やれてるのも、家族と幸せに暮らせてるんも、先祖がきちっとした人だったからや。運は待ってたらやってくるわけじゃない。先祖がポイントを稼いでくれてたから今の僕がある。せやから、僕も同じように生きる。君のことを乗せたんだってそうや。運は人が運んでくるんや。悪い流れを子孫に残さんためにも、僕は真っ直ぐに生きなあかん」

「じゃあ、僕がこうして社長さんに乗せて頂いてるのも、先祖のおかげですね」

「そうや!感謝した方がええ」

僕が名古屋で野宿をしていた日は、祖父の一周忌だった。
死の間際、僕は祖父と最期の会話を交わした。
その時の祖父の様子が思い返された。
僕は祖父の想いも背負っていた。

「迷ったときはな、損得で考えちゃあかん」

「なにで考えるんですか?」

「善悪や」

「善悪……」

「そう。そのように生きとったら運は自ずとやってくる。兄ちゃんも頑張り」

「ありがとうございます」

社長は別れ際、『じゆうちょう』に一言書いてくれた。

「微力ではあるが、無力ではない」

とても励まされる言葉だった。

続く。



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