見出し画像

ヒッチハイク紀行文①

「僕、ヒッチハイクの旅に出たいんです」

周りの反応は温かかった。
シェアハウスの同居人も、職場の人たちも、友達も、家族も、最終的には応援してくれた。
このご時世なのに、意外とみんな優しいんだなと思った。
目的は「ドキュメンタリー映像を撮る」こと。
旅を通して出逢った人たちとの間に起こるであろう出来事をカメラに収めたかった。

仕事は1ヶ月の間休みをもらった。
僕は現在、児童館で児童指導員の仕事をしているが、雇用形態は非常勤。ほぼアルバイトだ。
だから比較的楽に休みをもらうことができた。

旅の期間は3月28日から4月29日までの約1ヶ月。ただし4月9日には東京で予定があるので、1 度東京に帰らなければならない。
それを踏まえて、僕は以下のような旅程を組んだ。
まず、スタートして北上、ヒッチハイクで太平洋側から青森を目指す。それからフェリーで北海道へ。
6日あたりまで関東や東北、北海道を観光したのち、再び北海道からフェリーで青森へ戻り、今度は日本海側からヒッチハイクで東京へと帰る。
そうすれば割と多くの県に立ち寄り、観光することが出来るはず。
10日以降は南下して沖縄を目指そう。
漠然とそう思っていた。

出発前、本当は職場を辞めるつもりだった。
旅をしながら自分のやりたいことを模索し、すぐにそれが実現できるように。
だから実際にその旨を館長に伝え、辞める手続きを進めていた。職場の人たちにも辞めることを伝えていた。
しかし何故か後悔し、それを取り下げた。
職場の人たちから退職するからと色々受け取ってしまった後だったために、沢山の迷惑をかけてしまった。
最終的にはみんな応援してくれ、送り出してくれた。
旅の様子を見たいとSNSもフォローしてくれた。

そんなわけで、僕はヒッチハイクを必ずやり遂げなければならないと言う想いに駆られていた。
ここでまた2度目の「やっぱりやめた」は格好が悪い。なんのために1 ヶ月の休みをもらったのかいよいよわからなくなる。
僕はネットで色々調べ、ヒッチハイク用の道具を買い揃えた。
テント、シュマグ、枕、クッカー、ガスバーナー、ライト、銀マット、スマホ撮影用のジンバル、そしてスケッチブックとペン。
旅の費用を1日2,000円以内に抑えたかったので、野宿セットを揃えたのだ。
その他数日分の洋服や諸々をリュックに詰めた。テントやシュマグをリュックに入れると、それだけでパンパンになってしまったので、洋服はサブのバックに入れた。
大荷物だった。
まぁ、ヒッチハイクは車の移動だし大丈夫だろう。
そう思い旅の準備を終えた。

前日の夜。
この日は母の誕生日だった。
夜はケーキで祝った。
誕生日プレゼントにと通販で買った自動マッサージ機は間に合わなかった。おそらく明日には届くだろう。
寝る前に、明日のスタート地点を調べた。
ヒッチハイク初心者はパーキングエリア(PA)かサービスエリア(SA)からスタートするのが良いと言う。
しかし僕の住んでいる場所の近くに、徒歩で行けるPAもSAもない。
なのでこれから高速道路に乗る車をターゲットにヒッチハイクをすることにした。
良さげなインターチェンジ(IC)を検索する。
ネットの情報によると、下道からヒッチハイクをスタートする場合のポイントは3つあるらしい。

①車が速度を落とし始める信号機の20m手前
②バス停など、路肩が広くなっている場所の数メー
 トル手前
③自分が立っている場所を遮る障害物がない道

以上を踏まえて場所を探した。
しかし、Googleマップなどを用いて検索するが、あまり良い場所が見つからない。
静岡方面に行くのであれば、用賀付近の東京ICがヒッチハイクの聖地らしいのだが、方向が逆のため、北上する場合は車が停まりにくい。
だからと言って最初から電車で、徒歩で行けるPAへと向かうのはルール違反な気がした。
なので明日のスタート地点は、家から徒歩で行けて、ICも近くにある三軒茶屋駅を選んだ。
ネットでみた「三軒茶屋付近の246通りはヒッチハイクがしやすいのではないか」との情報が決め手となった。
本当は友達に近くのPAまで送ってもらおうと何人かに連絡していたのだが、平日のため全員に断られた。甘えてはいけない。自分でやるのだ。

この旅で、何かが得られるかもしれない。
深夜0時、そんな期待を抱きながら就寝した。

続く。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?