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なぜ神の声が聞こえないのか

神が本当に語りかけているとして
なぜ『俺、私、僕』たちはそれに
気付かないのでしょうか??

神は2つの理由を挙げています。
1つ目の理由は
気付かない方が楽だからです。
多くの人が
神が語りけたという偉人達の
言葉を鵜呑みにしていると言います。
【イエス・キリストの言葉や聖書の内容を信じていれば】
自分が考える必要はないからです。

想像してみてください。

もし自分自身が神のメッセージを受け取ったと
認めれば自分で考え実行する責任が生じます。

ユダヤ人を引き連れたモーゼのように
大変な苦労をするかもしれません。
他人の解釈を受け入れている方が
「今」この瞬間に受け取っている
かもしれない神のメッセージを解釈して
実行しようとするより遥かに楽で安全ですよね。
だから
イエスやモーゼのように聞こうという意志を持ち
恐ろしくても、狂気の沙汰に見えても
全く間違っているように思えても
神とのコミュニケーションに向かって心を
開き続けた人だけが
神とコミュニケートすることができるのだというのです。

2つ目の理由は
神に対する偏見です。
「神は光の中で、高らかな鐘の音と共に姿を現すはずだ」
と思い込んでいては、
あらゆるところに神を見ることはできないと神はニールに語りました。

神の現れ方や話し方、神の在り方は1つしかないと思っているから
毎日、神を見ていても気付かないのだと…
一生、神を求め続けても「彼」を探していたら
「彼女」を見つけることはできません。

神はいかにも神らしくなければならないとか
神にはジョークが通じないとか
友達のように話すべきではないなど
「神はこうあるべき」という偏見を捨てること。
そうすれば
悲しみの中にも笑いの中にも
苦さの中にも甘さの中にも
どこにでも神を見ることができ
その声を聞くことができると言います。

明日に続く…

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