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出会って別れていく私たちの『一心同体だった』

「女同士の関係は友情ではなく連帯」とは言いますが、実際のところどうでしょうか? まぁわからないではない。
 我が身を振り返ってみる。三十代前半。何度目かの結婚出産ラッシュだ。大学に長く残った友人が多いせいか、第一次の時よりも近しい友人が多く結婚している印象がある。私自身も結婚を考えたりもした(が、破局した)。結婚した後も長く友人関係が続いている人もいれば、結婚後どうも話が合わなくなって疎遠になった人もいる。ここで気づくのは話題が合わなくなったと言うわけではなく価値観が合わなくなったと言うことだ。振り返れば学生時代の友人とは十年近く異なる道を歩んでいる。すでに随分と共通の話題も減り、それでも友人を通じて知るあたらしい世界や今見ている景色を友人に話すのは楽しいものだった。きっとおばあちゃんになるまでずっと、こうやって楽しくおしゃべりしていくのだと思っていた。しかしそうはうまくいかなかった。きっと彼女たちにとって、私は独身時代の楽しい友人として人生に刻まれていくことだろう。
 そういう区切りのある関係はこれまでにもある。コミュニケーションが得意で、人といるのが好きな私はコミュニティーごとに仲の良い友人と呼べるような人ができる。しかし、そのコミュニティーを離れると、連絡がまめではないから自然と疎遠になる。嫌いになったわけではない。連絡を取ったらそれなりに楽しいかもしれない。でもしない、そういう人たちとの思い出は心の中でオルゴールのように優しくて少し寂しい音で回っている。

 さて、「女の同士の関係は友情ではなく連帯」なのかという話だ。この本を読み終えると、【友情】【連帯】【強固なシスターフッド】と言ったようなゴシック体で打ち出したテプラのシールようなラベルは似合わないような気がし始めた。十代になりたての頃からあらゆる要素での嫉妬や優越感、人間関係のきびを読み合いながら大人になっていく女たち。簡単には一枚岩にはなれないが、支え合うことも、共感することもできる人たち。女と女の間にあるつながりは絹の糸ように繊細で、お香の煙のように匂い立つ時もあれば、銅線のような時もある。その多様さ変化の妙をそれぞれの章のなかで感じることがあった。

 特に気に入っているのは、自分と年が近い『エルサ、フュリオサ』『会話とつぶやき』の二つだ。

 まず、冒頭にベティ・L・ハラガンの『ビジネスゲーム』が引用されている。この本はジェーン・スーさんがお悩み相談の中で繰り返ししている働く女の必携本。男性がやりやすいように設計されているビジネスシーンを女がどのように生き抜いていくかが明瞭に書かれている。そして幕開ける彼女らの物語はもしかしたら私もこうなっていたかもしれないと思わせる説得力があった。

 東京の大学を出て、東京の会社でキャリアを重ねてきた女が地方のスマホショップに出向。東京での楽しい生活と人間関係から離れ、嫌で離れた地元のようなイオンや小中学校の同級生との縁で回っているコミュニティに飛び込むことになる。そこで出会った仕事ができる女性との交流を描く『エルサ、フュリオサ』。エルサは『アナと雪の女王』のエルサ、フュリオサは『MAD MAX怒りのデスロード』の寡黙な女戦士。どちらも力を持ちながら抑圧された女性像で、2010年代後半に多くの共感の声を集めた。この物語の中では、東京から来たバリキャリと地元で暮らす仕事ができる女お互いにコミュニティーや日本社会の中で抑圧される能力が高い女性というシンパシーがお互いを繋いでいつように見える。しかし、特に仲良くするような描写はない。『会話とつぶやき』のなかで仕事を辞めざるを得なくなる地元で暮らす女をなんとかバリキャリが救おうとしている様子は見えたが、そこで手を取り合うこともなかったようだ。彼女らの間にはシンパシーがあるが、待遇の差、立場の差で共闘することはなかったようだ。しかし、一瞬感じたシンパシーは一心同体のような感覚だったに違いない。

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