年下の男の子 4
次の日、課長が珍しくみんなを集めた。
「えー。すまんと先に謝るが、今週末内部監査があるのを忘れていた」
ざわわと動揺が広がる。内部監査があとたったの三日後?
「だからな、謝ると言ったじゃないか。とにかく本社が来るからデータまとめといて。えーと、武田がやって」
武田くんがやる、イコール私がやるということだ。
「内部監査…」
武田くんは長い指を整ったくちびるにのせ考え込んでいる。
「ぼーっとしてる時間はないよ。とりあえず、昨年とおととし、あと念のため三年前の内部監査事項を確認して」
私たちは、すぐさまこれまでのデータをプリントアウトすることに取り掛かることにした。
どさっと資料を置く揺れで目をあげる。武田くんがふうと息をつきながら言った。
「これでデータは全部です」
私と武田くんは、二人で会議室を占領して、ひたすら本社が突っ込みそうな事項にマーカーをしていた。
「あ、じゃあこの作業変わってもらっていい。毎年聞かれている事項と、前に指摘された事項をまとめてくれる。終わったら、各チームに今のデータを用意するよう伝えて」
「分かりました」
一言の説明で理解し、てきぱきと進めてくれる後輩。入社すぐにそこまでできるのはありがたい。
だけど、私も優しく教えてあげる時間はない。多少怖い女だと思われても仕方ないだろう。
ここ数日少し浮ついていたけど。やっぱり、私は仕事が終わるかどうかが第一であって、職場で恋愛するなんて向いていない。だいたい年下の子になんて。年下を見ているのは、テレビのスケートリンクだけでいい。
やっていた作業は武田くんに任せて、私はこの一年で変わった業務について確認をはじめる。
あ、ここは和葉に新しいデータを計算しておいてもらわないと。「和ちゃんに言ってきて」と指示をしようと武田くんを振り返ったが、和葉と二人にするきっかけを与えたくない、とふと思ってしまった。
自分で和葉のところまで言いに行くか。
さっき、仕事に恋愛は関係ないって、向いてないって決意したばかりなのにもう揺らいでいた。
そんな自分が嫌になって、頭がぐるぐるしてきた。最近あまり眠れていないのもあるかもしれない。
「体調悪いですか?大丈夫…」
気づくと武田くんがこちらをのぞき込んでいた。
何で、この人には分かっちゃうんだろ。
「ううん。大丈夫。あのさ…」
会議室で二人だけなのをいいことに、少し気が大きくなる。
「和ちゃんと、そのさ。付き合ってたりするの」
なるべくさり気なく聞いたつもりが、たどたどしくなってしまった。でも出した言葉は取り返せない。
せめて、ただの興味本位だと思ってほしい。
「和ちゃん…ああ。杉山さん。付き合ってないですよ」
武田くんは、見るからに機嫌が悪くなってしまった。
「なんでそんなことを聞くんですか」
「いや…よく二人で話していたりするから」
「あの人、おれにスケートの有本選手を重ねてるだけですよ。
おれはおれなのに、そうやって別の人を勝手に重ねて好意を持たれるのって、やっぱり良い気はしないですね」
心底軽蔑しているというような様子で言った。「付き合っていない」のか…。よかったとホッとしてしまう自分がいる。
「前の会社でもそういうことがあったから、困るんです」
武田君は明らかに迷惑がっていた。
でも、武田くんが迷惑がっている和葉と、私も同類だということも、自分で分かっている。そう、私だって、有本選手を重ねてた。
だから、武田くんの一言を気にして、服装だって変えたし、反応がなくてがっかりしたし、和葉との仲を想像して眠れなくなったんだ。
そう。有本選手と重ねなかったら、私が社会人になったばかりの年下に対して、こんな気持ちになんて、なっているわけないじゃん。
ふっ、と私は笑う。武田くんは何事かという風に手を止めこちらを見た。
言ってはいけない言葉だと分かっている。だけど、こんなに言われっぱなしで終われない。
「だって…。武田くんみたいな年下の頼りない男の子なんて、有本選手を重ねでもしないと眼中にも入らないんじゃない?」
そう言った私を、武田くんはじっと冷めたような目で見つめてから、黙ったまま作業を再開した。「じゃあね」と私は資料を持って会議室を出た。
廊下はやけに暗く冷えびえとしていた。
その夜久しぶりに和葉と飲みに行くことになった。向こうから誘ってきたのだ。
居酒屋で乾杯をするとさっそく切り出してきた。
「私、武田くんにアタックしてたじゃないですか」
肯定も否定もせずに先を促すと、諦めたかのように和葉はため息をついた。
「今日はっきり言われたんですよ。アリユウと重ねられてもウザいって」
私が会議室であんな話をしたから、はっきり断るきっかけを作ってしまったかも、とちらりとかすめる。
聞くと、最初の飲み会の次の日、ユニコーン柄の前日と同じ服で出社したのはある意味、和葉の作戦だったらしい。社内で噂を作ってしまえばなし崩し的にそういう雰囲気になれるのではないかと。
浅すぎない?と思いながらも、見事それに踊らされていた私は、ふーんと相槌を打つ。
「でも、アリユウと重ねてるって、美咲先輩も一緒ですからね」
「え、私は別に…。重ねるもなにも、武田くんは部下だから」
「ずっと一緒にいる私が、気が付かないとでも?結構気になってるでしょ、武田くんのこと」
もう、そうだともそうでないとも言えなかった。誰かに言っていいことでもないような気がした。
「でも。ダメですからね」
和葉はそんな私を見つめながら続ける。
「美咲先輩も私と同類ですから。アリユウを重ねてて、武田くんからしたらウザいだけですからね」
「はぁあ」と一度うなだれて見せてから、和葉は「さあ」とグラスを傾ける。「私たちの失恋にかんぱーい」そう言い、私のグラスにかちんと自分のグラスを当てた。
私はやっぱり武田くんに有本選手を重ねていて、それでちょっと好きになりかけていたんだろうか。それなら試合失格だ。
なんでこんなに取り残された子どもみたいな気持ちになっているんだろう。ぐいとビールを一口入れた。
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