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ハワイに飛んでいった風船

小さいころ、スーパーでもらった風船は、店を出ると同時に空に飛んでいってしまった。

「手を離さないようにね」

言われていたのに、あっという間に離してしまった自分のふがいなさと、しばらくはもう手に入らないものを失くしてしまった悲しさで、私は泣いた。

母は、「あの風船、ハワイまで飛んでいくかな」と言った。

私はハワイに行ったことがなかった。だから、ハワイはどこか遠い夢の場所だった。(今でも夢の場所みたいなものだけど)。

小さい私は泣き止んで、その夢の場所に飛んでいく赤い風船を見つめる。これから長い旅に出る風船をよく見ておかないといけない。
風船はどこにもひかからず、どんどん小さくなって、やがて空に溶けて見えなくなった。

それからことあるごとに、「ねぇ、風船は今どのあたり?」「もうハワイについたかな?」と言っていた。

その度に、母は「そうだね。今海の上かな」とか「カメハメハ大王のところについたかな」とか、そのストーリーの続きを一緒に大事に持っていてくれた。

ハワイは、お母さんが新婚旅行で行ったところ。飛行機から降りたら、ダンサーがレイをかけてくれたところ。ホテルの鍵が壊れて、お父さんが一生懸命英語でホテルの人に話をしたところ。そんなことも聞いた。

大人になってはじめてハワイに行ったとき、風船のことはすっかり忘れていた。
だって、あのときの風船がハワイのキラキラした空に浮いてないことくらい、もう分かるくらいに私は大人になったから。

だけど日本の穏やかな空に、私はときどき赤い風船を見るような気がする。どこかに小さい私とまだ若い母がいて、風船がハワイに飛んでいく優しいストーリーを、本当に信じて、今も楽しそうに話しているみたいで。

なくしたものは、なくならない。
どこかもっと素敵な場所に行ったのよ。

それはウソかもしれない、でも優しいストーリー。信じられるなら、それは真実にもなる。
私はあのとき、風船を飛ばしてしまった自分を責めることもなく、泣き止んで空を見上げることができた。


ハワイにあの風船は飛んでいくんだっていう、母の話してくれたストーリーを自分の真実にして。


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