年下の男の子 3
金曜日になって、今度は課での歓迎会が開かれた。真ん中に座る武田くんの横には、和葉が陣取っている。
主役と離れて座る私の周りでは、新入社員とは関係ない、各々の家庭や夫の話が繰り広げられている。みんな既婚者の方々だ。
「美咲さん、新入社員、どうなんですか」
隣のパート社員さんが聞いてきた。私が話に入れないのを察してくれたのかもしれない。
「そうですねぇ。若すぎて心配でしたけど、思った以上に気が付いてちゃんとできる人ですよ」
現に、この一週間で武田くんにはひとつ仕事を任せることができるようになっていた。
「そういえば知ってます?彼、前職で上司の女性に言い寄られて、それ
がこじれて居られなくなって、転職したらしいですよ」
「えー本当?ちょっと、今も杉山さんにベタベタされてるけど大丈夫なの?」
パート社員さんたちはクスクスと笑う。
「和ちゃんは、見た目も若いし、武田くんとそんなに年齢差もないから大丈夫なんじゃないですか」
さすがに和葉を、若い子に言い寄っている風に言うのは気が引けて、そうフォローした。
でも武田くんの転職理由はそうだったのかとはじめて知った。仕事は出来るのに、早すぎる転職を不思議に思っていたけど。
そういうわけが過去にあったなら、私も気をつけて接しないと、と思ってはっとする。
気を付けるって、何を気を付けるつもりなんだ。普通に後輩として接しているんだから大丈夫、とひとりうなずく。
「私の息子も会社に入ったらちゃんと仕事出来るのか心配だわー」
と、ふたたび周りの会話は、家庭の話になっていく。
それを遠くに聞きながら、なぜか武田くんと和葉の楽しそうな笑い声ばかりが近くに聞こえた。
*****
「解散!」と課長が店の外でさけび、みんなバラバラに散っていった。誰が誰と帰るとか、もう見たくない。私は足早に歩きだした。
酔っ払いたちをすりぬけて、大通りへ出る。点滅する信号が見えて、渡ってしまおうと小走りになったとき、
「三宅さん!」
呼ばれる声が聞こえて振り向いた。
武田くんが追いかけてきていた。私はとっさに道を渡るのを辞めてしまい、その間に信号は赤になって立ち止まらざるをえなくなった。
はぁはぁと肩で息をしながら、武田くんは笑った。
「歩くの早いですね」
歩くのが早くなったのは、都会で一人暮らしをはじめたころからだった。田舎ものにみられたくなくて、キャリアウーマンを気取って。もうそれも何年目だろう。
「今日は、話しに行けなくてすみません。おれが一番お世話になってるの、三宅さんなのに」
ちょっと寂しかった分、その気持ちを読み取られたようで焦って笑ってしまう。いつもの一人称が、おれになってるのはちょっと酔ってるからだろうか。
「えーそんなのいいよ。飲み会のときくらい、色んな人と話してリラックスしないと」
そう言いながら、なんだかふわりと心があたたまってくる。
「いつも頑張ってるもんね」
しばし、お互い無言になった。武田くんはポケットに手を入れて、下をみている。
車道の信号が黄色に変わるのを目の端でとらえた。もうすぐ、こちらの信号が青に変わる…。
武田くんが寒いのか鼻を少しすすって言った。
「三宅さんって、いつも全身黒い服ですよね」
その言葉とともに、歩行者信号が青に変わって、人の波が動き出した。私はそれに流されるふりをして、「また来週ね」と歩きはじめた。
武田くんを置き去りにして、振り返らないように。
「信号が変わってよかった…」一度あたたまった分、一気に冷たくて暗いところへ突き落とされて、そういう気持ちが顔に出てしまいそうだった。
いつも全身黒いですね…武田くんの言葉がこだまする。
私は自分の黒いスカートを見ながら、足をすすめた。確かに、それは事実だった。スカートもタイツも、パンプスも。そしてコートも黒かった。
地下鉄の階段を下りて、改札をぬけ…早足で歩き続けないと、なんだか泣いてしまいそうだった。
*****
知らない間に、涙がでていたのは何年ぶりだっただろう。あれから家に帰って、寝る前に結局、少しだけ泣いてしまった。
いや、涙を流したことは最近にだってある。
有本選手の一昨年のオリンピックでの演技。ずっと追ってきた彼の、集大成、そして今では彼の歴史に刻まれた通過点となった日、私はテレビの前で泣いた。
昨年だって、有本選手が足のケガで試合を棄権したときに、彼の気持ちを思って泣いた。
だけど、自分のことで泣いたのは、思い出せない位、昔だった。
私はどうしちゃったんだろう。
「全身黒って言われたのがそんなにショックだった…?」
でも課長には何回も言われたことがある。美咲の名前が泣いてるぞ、って。
そのときは何にも感じていなかったはずなのに。
*****
月曜日、私は白いニットにブルーのスカートで出勤した。
「え、美咲先輩いつもとちがーう!」
和葉が大声で話しかけてくるのを、「いつものは全部クリーニングに出してて」とかなんとか言い訳しながら、席に着く。
「おはよう」
「おはようございます」
隣の席の武田くんは、ニコリといつものように笑うと、また涼しい顔で作業に戻った。
別に…あなたに言われたからじゃないよと言いたいけど、それをこちらから言うのは変だ。何か、言ってよ。一言くらいあってもいいんじゃないとも思う。
資料を持ってきてくれた他部署の人や、パートの人は、私を見る度に「今日なんか違うね」「似合う」といい反応をしてくれた。
それを言われるたび、なんだかくすぐったくて、でも一番反応が気になる人は何も言ってくれないことが余計に際立った。
課長はこちらを見てニヤニヤと笑っていた。余計なことを言うなよ、と思う。
「三宅…、いやいや、ゴホン。『美咲』さん、このデータまとめといてー」
「セクハラですよ」今度こそ言おうかと睨んでやった。
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