違和感をぬぐった先で【うみまち交換日記 vol.11】
ひめちゃんさん、こんにちは。前回お返事もらったときから、少し日にちが経ってしまいました。
瀬戸内は寒かったり暑かったり、気温の差が大きいです。氷見はどうでしょう。
◇
前回の「心の奥に生きている」-なんて素敵なタイトル!と思いました。どんな想いも、完全に消えるわけではないのだなと、思いなおせた気がして。
ひめちゃんさんの経験をお話ししてくださって、ありがとうございます。違和感をそのままにしなくてよかったなぁ。ひめちゃんさんに明かしてよかったなぁと、心から思いました。
「場所をつくる夢を、一旦置いておく」ことにしてから、1ヶ月以上が経ちました。いま、想像以上に身軽です。だからやっぱり、いまがタイミングではなかったのだなと、思えるようになりました。
でも実は、いろいろな巡り合わせがあり、場所を借りてコワーキングスペース兼カフェを週1程度で開くことになりました。
誰かが来たら、ドリンクやケーキを出して、それ以外の時間は私も自分の時間を過ごす。そんな場所です。
ゆるやかな時間のなかで、ゆるやかに人と繋がれるのが、私にとって満たされることなんだなぁとも認識してきました。この場所のおかげで、私は今まで以上に玉野というまちに“いる”ような気がして、じんわり嬉しいのです。
少しずつ、少しずつ、自分の感覚を大切にしながら、続けてみようと思います。
◇
もうひとつ。
ひめちゃんさんのこの言葉に、思い出したことがあります。
私のなかにもそういった、相反する気持ちがたくさんある気がして、何なんだろうなと思っていた時期がありました。
でも、最近聞いた話で「何なんだろう」が消えたので、ここでお話ししてみたいなと思います。
それは「端と端を経験するから、真ん中が見える」ということ。だから「相反することが共存しているのは、その人らしさ」である、という話でした。
例えば「ずっと働き続ける」と「仕事をしない」を経験して、自分がちょうどいい働き方が見つかる、とか。「家で過ごすことが多い」人が「海外に行く」経験をして、「自分の理想の暮らし方がわかる」とか。
仏教の言葉では「中庸」なんて言うそうです。
この考え方を知ったいま、ひめちゃんさんの言葉を見るととても腑に落ちます。
前々回くらいに書いた、グレーを愛することも、端と端を経験できたら愛せるのかもしれないなと思ったのでした。
余談ですが、最近の私はずっっっと苦手だと思っていたInstagramの発信にチャレンジしはじめました。
日々、いろいろなことに気がつくなぁと思っています。それをそのまま発信することで、改めて自分を見つめ直しています。
久しぶりに新たな扉を開いた気がして楽しいです。また、ひめちゃんさんの近況も教えてください。
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