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中の人はどんな人でどういう目標を持ってんの?

皆さん、はじめまして。Kohです。

本日から、このnoteにて文章を書いていきます。日々わたしが感じたことや、みんなにシェアしたい自分の好きなもの、インプットした情報などを少しずつこの世界のどこかにいる誰かにお伝えできればと考えております。
(良い内容さえ書いていれば、最近のGoogle翻訳は優秀なので、どんな言語を使うひとにも伝わってくれると信じてます。)

今回は初回なので、ありきたりではありますが自己紹介とnoteを始めたきっかけでも書いてみようと思います。

自己紹介

出身地:大阪府
年齢:大学院2年
所属:某大学大学院(来春からはサラリーマンです)
研究テーマ:集団球技(フットサル)を確率論で語る、チームワークの正体を解明する、ゲーム分析など
趣味:スポーツをやる・見る(大学では競技フットサルをやってました)、音楽鑑賞

うーん、ざっとこんな感じでしょうか?笑

この中で、特に自分らしいものといえば大学で競技レベルでフットサルをやっていることと、ただフットサルをプレーするだけでは飽き足らず、研究テーマにしてしまったということでしょうか。

このあたりのきっかけや考えは掘り下げていくと、それだけで論文でいうとイントロくらいの分量は軽く書けてしまうので、これから小出しにしていくつもりです。
今回、1つだけ何か伝えるとすると、学術的見地から、
“スポーツにはまだ発展の余地がある”ということです。

スポーツ現場と学術研究との隔たり

これはフットサルに限らず、スポーツ全体に言えることだと思うのですが、まだまだ研究対象として広く認められてはいません。
自分は2、3年という短い間ながら、スポーツに対して研究という立場からアプローチをする人たちと多くかかわってきましたが、スポーツ×研究というものが発展途上であることを痛感しています。
例えば、これは自分もたくさん経験してきたのですが、スポーツを研究していることを他人に話すと「え、Fラン大学生が卒論で調べるやつやん」とか「勉強そっちのけでずっと遊んでたん?」とか言われることがあります。
これは、スポーツがきちんとした学問とみなされていないことの何よりの証拠だと感じています。
これには様々な理由があると思うのですが、世間一般的な考え方として「大人になってスポーツで飯を食ってるような人は、スポーツでしか食っていけない人だ(=スポーツ選手は勉強ができない)」という考えがあるのではないかと感じており、そのことが大きな理由だと私は考えています。つまり、スポーツに携わる人間やスポーツという分野そのものが過小評価されているということです。また一方で、スポーツ選手の中には、競技力だけですべてを判断してしまい、競技で目立った成績を残していない研究者の助言はあまり真剣に聞かないというような人もいると、実際に聞いたことがあります。

つまり、スポーツの現場と学術的研究には、大きな隔たりがあるのです。
だからこそ、自分は、この大きな谷で分断された二つの場所にかかる橋になりたいと思っています。

だって今の状況ってすごくもったいなくないですか?
例えるなら、大きな川で隔てられた、採れるものも環境も全く異なる国同士が、その川を渡るのがめんどくさいという理由だけで交易をせずにいるようなものです。
もし自分だったら、多少無理をしてでも、食べたことのない食べ物を食べに行ってみたいし、見たことのないものを見てみたいと感じると思います。
確かに橋をつくるのはめんどくさいかもしれないけど、だからといって現状に満足し、そのままでいることはすごくもったいないことだと感じるのです。

スポーツと共通点を持つ学問がある?

私は何かを自分の研究によって変えたいと考えるとき、ほかの学問分野ならどうかと考えます。
そこで私が思いついたのが、芸術学や文学です。
これらの学問は
・人間の活動によって成立するものを研究対象としている
・研究対象をつくる人とそれを詳しく調べる人が違っている
という点で、スポーツ学と共通した部分があるとは思いませんか?

では、これらの学問とスポーツ学が違うところは何なのでしょうか?

それは、ずばり「視点」だと考えます。

スポーツに関する研究は、競技者視点であることがほとんどです。つまり「競技者が上手くプレーするための方法を見つける研究」がほぼすべてを占めているといえます。
それに比べて、皆さんが芸術や文学に触れる際は、作品を鑑賞して、それを作り上げた芸術家や作家がどう考えていたのかを読み取ると思います。研究者も基本的にスタンスは変わりません。つまり、作品を見る観測者の視点で考えているのです(自分は、あまり芸術や文学に造詣が深くないのですが、一回生の時に単位をそろえるために受けた授業での、曖昧で薄っぺらい記憶からこのように結論付けました)。
私は、この違いが学問的な発展度合いの違いであると考えます。

私の成すべきこと


以上から、自分がやるべきことはおのずと一つに決まってきます。

それは…「スポーツを、見る立場から科学する」ことです。

これは別に強がりでも何でもないのですが、これが競技力アップにつながるだとかそんなことはみじんも感じていませんし、一流選手のパフォーマンスはこんな若輩者の自分の意見を聞くだけで上がるようなものでもないと思います。
それよりも、一人でも多くの一般人(ここでは、スポーツで稼いでいない人を指します)がもっとスポーツを楽しめるようにすること、そして仕事ができる上司や成績優秀な先輩のような感覚で、スポーツに携わる人間をリスペクトできるようにすることが自分のやるべきことであり、目標です。
これを達成することがもっともっとスポーツ界を発展させる鍵です。

反省と次回以降書いていきたいこと

うーん。結局長くなっちゃったなあ…。
小出しにすると言っていたにもかかわらず、中出しくらいになってしまいました。(決して下ネタではありません。。)

このビジョンに向かって取り組んだ自分や挫折した自分についてもお話させていただきたいのですが、それはまたの機会ということで。

書き始めた時点では、このあとnoteを始めた理由へとつなげていくつもりだったのですが、長いと最初と最後の段落しか読んでくれなさそうなのでこの辺りでやめときます。(すでにもう長いですかね。笑)

次回は、始めた理由について書くかもしれないし、すっ飛ばして何か別のことを書くかもしれませんので、そのあたりの記事のつながりは無視して読んでくれればと思います。

長くなりましたが、これからお付き合いいただけると幸いです。
頑張って書いていきます!!

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