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たられば<あとがき>

残存

 

 2026年、4月1日。2人の住み家では、シュンの携帯がなおも鳴り響いている。

 

 アヤは事件後から眠り続けていた。

 病室からは、大きく気高い桜の木が見える。その花びらたちは、自分の役目を終えたように、次々に舞い散っていた。

 病室のテレビでは、総理大臣が感染症の終息を発表している。

 地球は、世界は、国内は歓喜に満ち溢れた。人類の悲願が、やっとの思いで達成されたのである。


 世間とは対照的に、彼女が眠る病室には重い雰囲気が漂っている。そこでは、大人による会議が開かれていた。

 テーマは、今後の処置について。今後もキセキを祈り続けるのか?、それとも早く楽にしてあげるのか?病院側と親族側で、意見は対立していた。

 「彼氏さんの意見も聞きましょうよ。何より婚約されていたのですから。とにかく今、焦ることは得策ではありません。必ず後悔しますよ。」

 医者は冷静にプロの見解を説明した。

 「シュンさんは心を病んでいます。家から一歩も出ることができないそうです。そんな彼に、これ以上の負担をかけるわけにはいきません。」

 アヤの母親は、彼には相談できないと主張した。

 議論は平行線をたどる。もう結論なんてでない。今日の議論は、明日に持ち込まれることになった。

 「ではまた、明日ですね。今日はお母様もゆっくり休んでください。」

 医者は言い残し、病室を後にする。


 ドアが閉まったことを確認すると、アヤの母親は再度椅子に腰かけ、窓越しに外を見た。

 まだ桜が散り続けている。その散り方に、言葉では言い表せない切なさを感じた。目頭が熱くなった。

 ポケットからハンカチを取り出そうとした瞬間、その腕の運動は阻まれた。

 目の前には、母の腕を握って何とか微笑むアヤの姿があった。ひきつっているのが、母には分かった。

 「シュンは?」

 弱弱しく懸命に音を発する。地獄からキセキの生還を果たし、アヤは久しぶりに婚約者の名前を口にした。 

 母は、慌てて備え付けの緊急ボタンを押す。 

 驚きを隠せないまま、さっきの医者が来るまでに、母親は次の行動をとった。

 スマートフォンを手にとり、震える指でなんとか画面をスクロールする。通信履歴から遡り、やっとの思いで「シュンさん」の画面にいきついた。

 まだ指は震えている。興奮を抑えきれない。

 電話番号をタップして、スマートフォンを耳に当てた。


 2人の住み家では、シュンの携帯がなおも鳴り響いている。

※ この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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