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【荷物どろぼう①】


何度も聞きたい話って、ありますよね。
突拍子もない例だけど「荒川の河川敷に車を止めてたら、突然UFOが降りて来て時間が止まった」っていう強烈な体験をした友達がいて、私はその話をしてもらうのが大好きでした。
彼女と誰かを引き合わせるたびに、ねえUFOの話してしてってリクエストしてたから、ゆうに30回は聞いてると思います。

何度も話してるうちに少しずつ尾ひれがついて、元の話と違ってるところもある。
でもその脚色が、またいいんですね。聞く人が盛り上がって、伝えたいものが生き生きして来て。

ヘルパーの仕事してた時に出会った認知症のヒサさんの話も、そんな感じでした。

ヒサさんは99歳、20年前に帰国した中国残留婦人です。
おもな話は5話くらい。
ですが、その5話をいったい私は何回聞いたんだろう。
その頃は今と違って長時間の仕事ができたから、5時間を週に2回2年間通ったので、1話だけでも相当聞いてるはずです。

ヒサさんは、家の近所を車椅子で散歩するのが日課でした。
広い畑の脇を通ると、いつも大きな声で私に話しかけてきます。
「これは、にんじん?」
「はい、にんじんです」
「こっちは」
「たまねぎ」
「ああ、たまねぎ。あれは?」
「にんじん」
「こっちは」
「たまねぎ」
このやり取りが、えんえんと繰り返されます。

そして、いつも休憩する公園に着くと、ヒサさんが「あんた、疲れただろうから休みなさい」ってベンチに座らせてくれるんです。
長年看護師をしてたからか、さりげない気配りがあるんですね。

その公園の隣には小さな葡萄園があって、ちょうどなりかけの葡萄に袋がかぶせてあって、
「あれは?」
と、ヒサさんが葡萄を指差します。
「葡萄」
と私が答えます。
「まあ、葡萄・・・」
そこからヒサさんの心は、はるか満州へと飛んで、満州の葡萄の話が始まるんです。

ヒサさんは幼い頃に養女に出され、結婚、離婚後、20代で満州に渡り、病院で働いていたんだそうです。

「むかしね。
婦長をしていた時にね。
休みの日に院長が自動車隊を出してくれて、病院で働いてるみんなで、何台かに分けて乗ってね。
なんにもない道を走って行くんだよ。

見渡す限り広くて、やっぱりなーんにもないところで止まって、運転手が『はい。ここです』って。
どこだろう?って、思ったよ。
そしたら、ここから向こうはソ連ですって。ソ連との国境を見に行ったわけ。

本当になんにもないから、わたしたちそこに立って、ほー、そうですかって眺めて、ただそれだけのことだった。

だけど自動車隊の道中は長いから、みんなワイワイしゃべって、だんだん喉が渇いて来てね。
途中に葡萄畑があったから、みんなでこっそり失敬して食べたんだよ。
その葡萄が、ほっぺたが落ちるほど美味しかった。
なんにもなかったけど、楽しい日だったよ」

何度か目をしばたいて、葡萄を見守るように首を左右にかしげます。
(続く)

※写真は文章とは関係ありません

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