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《馬鹿話 696》 季節外れ

「あんた、出るときは出るって言っておくれよ」

「突然だとわからないからね」

女房のお凉は折角眠り掛けたところを起こされ、寒い季節にあの世から帰って来た新之助を布団の中から見上げた。

「寒いから、こっちへこないでおくれよ」

部屋の隅にうらましげに立つ新之助にお凉は冷たく言い放った。

「変わってねえなー」

新之助は元女房の様子がどんな具合になっているかと見に来たのだが、相変わらず冷たい女だと思った。

「ところで、あんた。あの世ってどんなところなんだい」とお凉は新之助に尋ねた。

「お前もいってみるとわかるんじゃないか」と新之助はつれなく答えた。

するとお凉は、布団の中に頭をさっと埋め「連れて行くのは止めておくれよ。あんな所、一度行ったら帰ってこられないじゃないのさ」と言った。

「まあ、そうだな」と新之助は呟くと、「あの世の入り口は、自分から入りたくない奴らでいっぱいだ」と溜息を吐いた。

「そうだろうね。あたしも勧んで自分から行きたくもないよ」と、お凉は如何にも納得したように頷いた。

そしてお涼は「ところであんたが棲んでいるのは、極楽なのかい。それとも地獄なのかい?」と部屋の隅に向かって話し掛けた。

すると暗がりの中から、「それが俺にも良く判らなねぇのさ。あの世で出逢った連中に尋ねてみても、どうにも要領の掴めない返答ばかり。聞くところによると最近あの世にやって来る連中はみんな呆けの入った年寄りばかりで、自分が今何処に居るのかも良く判らねぇようだ。まぁ、あの世もこの世と同じで、地獄も極楽もあったもんじゃねぇのかもよ」と声が返って来た。

「ふ~ん。そんなものかねー」とお凉は呟いてから、「それじゃ、あんたも元気で暮らしておくれ」と言って、さっさと布団の中に潜り込んでしまった。

新之助はこの先どうしたものかと思い、布団の中に潜り込んでしまったお凉の姿を部屋の隅から見守っていたが、暫くしても一向に布団から顔を出さないお凉に腹が立って来た。

そこで新之助は、お涼の肩の辺りを布団の上から揺らして見た。ところが、何の反応もない。今度は布団の上に乗って見た。それでもお涼はピクリともしない。

「まさか、お前も死んじまったのか?」と新之助は慌てた。

新之助の慌てふためく様子を薄目を開けて見ていたお涼は、「馬鹿だね。あんたは幽霊だよ。幽霊が何かに触れても透けてるだけじゃないのさ。さあさあ、馬鹿のことやってないで早くあの世へ行っておくれよ。あたしは、もうあんたの事など忘れることにしているんだから」と伝えた。

新之助は布団を頭から被って顔も見せないお凉に、「本当か?」と疑うような声を掛け、自分の穿いている下帯を少しずらして徐にイチモツを取り出しすと、「俺が生きてるときは、いつもお前の方が逝きたがってたくせに」と揶揄った。

お凉は新之助が自分の頭の上で何をやっているのかも知らず、「もうあんたとあたしは赤の他人何だからさ。あんたの好きな所へ何処にでも行っておくれよ」と呟いた。

新之助はお凉の寝姿を眺め、「この間まで死ぬ死ぬと口走っていたお前が今も生きていて、まだまだと踏ん張っていた俺が先にお陀仏しちまうなんて、世の中どうなっているのやら」と愚痴った。

その時だった。新之助の立っている襖の当たりから冷たい風が吹き込んだ。

新之助は冷たい風にイチモツを押さえ「ひゃー」と叫んだ。

その声にお凉も驚いて布団から顔を突き出すと、目の前の新之助のイチモツ姿を見て「ひぇー」と叫んだ。

そして直ぐに、新之助の縮みあがったイチモツに呆れた顔で、「なにやってのさ。こんな馬鹿なことしてないで、早く帰らないと本当に仏様に叱られるよ」とお涼は冷たく言い放った。

新之助はお涼の言葉に慌てて俯いた。すると、自分のイチモツが見るも惨めな姿になっていることに気が付いた。

新之助は、決まり悪い顔で頭を掻きながら、「今日ここにやって来たのは他でもねぇ。俺はお前のことが忘れられなくてな。今年最後の冥途の土産に、少しだけでもいいから、お前の観音様を拝ませてくれねえか」と頼んだ。

その言葉に、お凉は潜り込んだ布団の中からスッポンのように顔を出して、「この寒いのに観音堂は店じまいだよ。あんたって男は、昔からのろまのくせにこんな時は早いんだから」と揶揄った。

すると新之助は申し訳なさそうな顔で、「では、今度こそ一緒にいこう」とお涼を誘った。


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