《馬鹿話 724》 決まり手
コーチの三井は、りそなの体を食い入るように見ると、「最近ちょっと痩せたんじゃない」と心配そうな声で尋ねた。
りそなは、これまで強くなりたい一心で、容姿のことなど考えることもなく、懸命に相撲の稽古に取り組んできたが、最近になってその気持ちが少し揺らいでいた。
「りそなちゃん、ひょっとしたら彼氏?」と、一緒に稽古をしていた古参の住友も言った。
「りそなちゃんの得意技は首投げだったな」と三井は笑いを含んだ口調で言った。
「コーチ。女子なんだから、その言い方はちょっと」と住友がたしなめるように三井に言った。
首投げとは、相撲界の隠語で性行為のことを言うのだが、もちろん、りそなも先輩達からその話は聞いて知っていた。
「それより今度の大会には、みずほ選手が出場するから、りそなちゃんも気合が入るだろう」と三井が言った。
みずほ選手とは、りそなが小さい頃からライバルとして戦って来た相手だったが、このところ、みずほ選手の怪我が続いて、久しぶりの対決となっていた。
そして、みずほ選手の元彼が、最近りそなと付き合い始めた三菱だった。
「みずほさん、彼のこと知っているかな?」と不安な思いが、りそなに横切った。
試合当日、予想は当たった。
みずほは、りそなに気づくとスタスタと、りそなの元にやって来て「覚悟してね」と言い残して立ち去った。
「大丈夫?」と住友が、りそなに声を掛けてくれた。
いよいよ、取り組みが始まると、りそなとみずほは、土俵を挟んで対面した。
みずほから放たれる目線が、りそなには辛かった。
お互いの名前が読み上げられ、土俵の中央に二人は向かい合った。
「はっけよい、残った」と、行司の声が響き、二人はぶつかった。
みずほは、りそなの肩に頭をつけて小さな声で囁いた。
「どこまで、やったの」と、みずほは言った。
りそなは、その言葉に返事をする余裕もなく、みずほの力に押された。
りそなを土俵際まで追い詰めると、みずほは、また囁いた。
「首投げ、やってみなさいよ」
そのとき、みずほの力が一瞬抜けた。
りそなは咄嗟に、みずほの左腕(かいな)を払うと、右手で前みつを掴み、一気に前に寄って出た。
みずほは堪らず、ずるずると摺り足のまま徳俵まで下がった。
りそなは、ここぞとばかり腰を低くして寄り切りの体勢に入ったが、一瞬早く、みずほの左腕が、りそなの立(た)てみつ付近の上手を掴んだ。
「早く寄り切らなきゃ」と、りそなが焦ったとき、みずほが右へ動きながら、左にうっちゃりを掛けてきた。
一瞬に体勢が逆転して、みずほが、りそなの胸に頭をつけて倒れ込む形となった。
りそなは、咄嗟にみずほの首に腕を回すと、体勢を再び入れ替えながら土俵の下に雪崩落ちた。
場内から歓声が上がった。その後、行司はためらいながら、りそなに軍配を上げた。
もう一度、「ワー」と観客の歓声が巻き起こると、土俵下で待機していた四人の審判が一斉に手を上げて、ぞろぞろと土俵の中央に集まってきた。
行司と審判団の協議がしばらく続いたあと、再びりそなとみずほが土俵に呼び出された。
今度は、みずほに軍配が上がり、場内には割れんばかりの歓声が渦巻いた。
りそなが土俵を降りて、花道を戻って行くと、支度部屋の入り口付近で三菱が待っていた。
まだ呼吸が整わないまま「ハアハア」と大きく息をするりそなに、「どうだった?」と三菱は声を掛けた。
「首投げで負けた」と、りそなは三菱に伝えた。
三菱は、りそなに「あんなに毎日練習したのに?」と言った。
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