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母校はいつ「母校」になるのか

 先日の「同窓会に行ってみた」の続きです。

 自分にとっての母校が高校だなと感じたのは最近のことで、これは高校の同窓会に行ったのが明確な動機になっているのは言うまでもない。同窓会に行き、ずっと昔の顔も名も知らぬ同窓生に会い、そう感じた。多分、同級生が揃う同窓会だったらこうは思わなかったんだと思う。歳のずっと離れた人々の存在が私をそう思わせている。

 でも、何がそんなに遠い同窓生の存在が私に高校を母校たらしめているのか、今一度考えてみたい。

 まず一つには、勘所が同じということだと思う。参加した同窓会では、当時の高校の様子や学校の変遷などが紹介された。多分部外者が見てもそんなに面白いものではないが、時を隔てても同じ学舎あるいは校風に馴染んだもの同士、その資料映像を見ると自然と笑いどころが被り、言うなれば、目に見えるお膳立てがなくとも身内ネタが成立するわけである。もちろん身内ネタと言っても、学校にいた時期・世代が違えば具体的細部のネタの中身は違うけれど、結局のところいつの時代も似たようなキャラクターの先生がいて、イベントがあって、それが世代を超えて笑いを誘うわけである。

 何度か笑い声や拍手が被るうちに、ここにいる人たちは同窓なんだなとしみじみ思う。こういうことは、地元を出てから、新天地で地元が同じくする人に出会ったときのあの感覚に似ているのかもしれない。共有の話題に乏しいときの地理的隣接は、容易に親しみをもたらす。私も地元を離れてそう思うことが増えた。偶にいる地元が同じ人の存在は、どこか緊張をほぐし柔らかすをもたらす。

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そうじゃないこともあるだって。例外はいつだってあると思う。地元に限らず、共通点というのは親しみとしがらみを同居させている。精神を同じくして——共通点があるからと言ってそうとは限らないのだが、そこのところを勘違いするとしがらみは厄介に振る舞われる。

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 少し話が逸れてしまったが、ではなぜ高校が私にとっての「母校」なのか。上の話であれば、小中だって母校になりうる。なぜだろうか。

 考えてみるに高校は自分が初めて選んだ学舎だったと思う。中学受験をしている人にはその限りじゃないのだろうけど、高校受験が初めての受験——つまり、自分で初めて選んだ学舎なのだ。母校に通う人々は自分と同様にそこを選んだ人々なんだよな、と思う。意思決定に想いを同じくした者。これは結構重要な気がする。想いを同じくする人々。もちろん、その想いの中身は人それぞれに仔細を変えるが、全体としてみたときのトレンドはあるだろうし、それは校風みたいなものを形成するのかなと思う。

 とはいえ、高校に通っていた当初はこんなことを考えていたわけではない。高校3年間で出会うのは前後2学年の5学年分で、まして学生の烏合(自分も含めて)のすることの似たり寄ったりで、だからなんだっていうわけではなかった。それこそ卒業してから、こういうことを意識するようになった。同窓のあの人はこういうことをしているらしいとか、出会った人が同窓だったとか。それで同じ高校を選んだ意思決定がわかるというのもなんだか仰々しいが、高校というあのタイミングで似たような決定を下し、その後の行先が様々でいるのがいいのかもしれない。今は全く違う私たちにも限りなく狭く似たような選択をした時期があったのだと。そのように志が少しでも似たということが、月日が経つと徐々に興味深く、そして心地よいものになっていくのかもしれない。

さて、随分と冗長でまとまりがないのもいかがなものかと思うので、まとめてみる。
母校を想起させる人々の存在とは、

  1. 時を隔てて勘所が似ていること: 時代は違えど校歌とか校舎とか校風とかで共感を覚え、笑いどころが被り、身内感にこと欠かせないこと。

  2. 母校を選んだということ: 人様々に境遇はあれど、その時点でその学舎を選んだという共通点があればいい。その後の様々の分岐はあれど、その時点で共通の選択をしたことが何よりの拠り所なのかもしれない。

 自分にとっての「母校」が今後変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。こればっかりは上にあげた2点が他の学舎と相対的に見てどうであったかにもよるのだろう。大学はコロナもあり、おそらく母校という感覚をそれほど持たない気がしている。その点高校は今後も私の母校であり続ける可能性が非常に高い気がしている。

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