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世阿弥 風姿花伝を考える ~別紙口伝その3~

この記事には何が書いてあるか

先日、風姿花伝を読んで感動した。ちゃんと読み込もう。風姿花伝の現代語訳とともに感想やビジネスなどへの活かし方を好き勝手に、少しずつ書いていく。

このNoteは自分自身が勉強したいと思って始めた、どうせならオープンな場所に書き残しておこうという公開型の日報みたいなものです。

僕はちゃんと古典の勉強や研究をしたこともなければ、この道の専門家でも全くないので、いろいろと細かい間違いなどはご容赦頂きたく。。

風姿花伝とは

世阿弥が著した能の理論書。父である観阿弥の口述した能楽論を中心に、世阿弥自身の思想を展開したものと言われている。能の修業・演出が中心ではあるが、人生訓など幅広い内容を含んでいる。

年来稽古条々・物学ものまね条々・問答条々・神儀・奥義・花修・別紙口伝の七編で構成されている。

有名な「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」という一文にもある通り、『花』が重要なコンセプトとなっている。

「初心忘れるべからず」もこの風姿花伝からきている。ちなみに初心とは何かを始めたときの気持ちだと多くの人が誤解している。初心が何を指すかはまた別途。

今回の箇所

花伝第七 別紙口伝(べっしのくでん)より冒頭部分の続き


参考図書

すらすら読める風姿花伝 (講談社+α文庫) | 林 望 |本 | 通販 | Amazon


本編ここからスタート

前回からの続き)

一、秘するは花を知ること。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ることが、肝要の花なり。

(現代語訳)
「秘するが花」知ること。「秘めておくからこそ花であって、それを公開してしまったら花ではなくなる」という文言がある。この分け目を知ることが最も肝要なのである。


そもそも一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるがゆゑなり。しかれば秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。これを、させることにてもなしといふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。

そもそも、これは能に限った話ではない。その家に「秘事」ということがあるはずだ。「秘事」は秘めておくこと自体の中に大きな「働き」があるからなのだ。
秘事といっても中身をしってしまえば、「その程度だったのか」と驚くほどの大したことではない内容であることが多い。しかし、その程度だからたいそうに言うほどではないじゃないかと言う人は、物事の道理が分かっていない。秘事ということの、大きな働きが分かっていないのだ。

まづこの花の口伝におきても、ただ珍しきが花ぞと皆人知るならば、さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。

何よりもこの「花についての口伝書」がそうだ。この書を公開してしまって、だれもが「ここに書いてある秘事が珍しい花、つまり見どころだ」と知っていたら、観衆は「きっとあの伝書にある珍しいことをするだろう」と期待してみることになる。どんなに珍しい演技や演出を見せても、珍しくて面白いという感激は起きないだろう。


見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。されば見る人は、ただ思ひのほかに面白き上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに人の心に思ひを寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。

だからこそ、見る人のためにどこに花があるかは知らせないでおくと、それがシテにとっての「花」となるのだ。そうすることで観衆は、期待よりも珍しい面白いことをすると驚き、感心もする。秘事がシテにとっての花になるということだ。

たとへば弓矢の道の手だてにも、名将の案ばからひにて、思ひのほかなる手だてにて、強敵にも勝つことあり。これ、負くる方のためには、珍しき理に化かされて、破らるるにてはあらずや。これ、一切の事、諸道芸において、勝負に勝つ理なり。かやうの手だても、事落居して、かかるはかりことよと知りぬれば、その後はたやすけれども、いまだ知らざりつるゆゑに負くるなり。さるほどに秘事とて、一つをばわが家に残すなり。

例えば武道や軍法でも、名将の差配によって意表をついた手段で強敵に勝つということがある。これは、負けた方からすると、思いもかけない珍しい戦法にだまされて破られたということではなかったか。これは、一切の事、芸能や学芸においてこれが勝負に勝つ法則である。このような手法も、すべて一件落着してから、実はあの時の作戦はこうだったと知れば、次は対応ができるものだが、最初は知らなかったがために負けてしまうのだ。そのような道理だから、大切なところを「秘事」として家に伝えておくのである。

ここをもて知るべし。たとへあらはさずとも、かかる秘事を知れる人よとも、人には知られまじきなり。人に心を知られぬれば、敵人、油断せずして用心を持てば、かへつて敵に心をつくる相なり。敵方、用心をせぬ時は、こなたの勝つこと、なほたやすかるべし。人に油断をさせて勝つことを得るは、珍しき理の大用なるにてはあらずや。
さるほどにわが家の秘事とて、人に知らせぬをもて、生涯の主になる花とす。「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」

以上の事から、次のようなことも理解できるだろう。すなわち、秘事を公開しないのは当たり前として、なお「そうした秘事を知ってる人だな、あの人は」ということすら、相手に知られてはいけないということである。相手に知られたら、油断なく用心してかかってくるであろう。
反対に敵がまさかそんな秘事があるとは思っていないとすれば、用心もしない。用心していない相手には勝つ可能性が高いだろう。
人に油断させておいて、易々と勝つことができるのは、秘する事による珍しさの大いなる働きではないか。
そこで、わが家には、人に知らせないということをもって、生涯の原理となる「花」としている。すなわち、「秘めておくからこそ、それが花になる。公開してしまったら、もはや花ではない」ということなのだ。


感想などまとめ

「秘すれば花、秘せずは花なるべからず」
この有名な一節が登場するくだりを紹介しました。

家に伝わる秘伝のノウハウは絶対に知られてはいけない。
さらにそういうノウハウがあることすら知られてはいけない。

現代のビジネス社会でも、やはり企業が持つノウハウは秘事として
隠しておく方が良い。

しかし情報社会の現代ではこの法則は成り立つのだろうか、、?
僕は「成り立つ」と思います。
というのは、変化のスピードが早いビジネス社会では旬な情報は
常に変化していくもの。情報はどんどん公開していっても、その
時点で最新のコアとなる情報は隠しておく。あの会社はなんでも
オープンだなと思わせておきながら、実はちょっとタイミングを
ずらしているだけなんだろうと思います。

とにかく、世阿弥がここで指摘したかったのは「情報」の重要性。
芸の世界も、戦でも、ビジネスでも、どんな世界でも「情報」の
扱いをうまくやることが肝要だということなんだと思います。

このことを肝に銘じて、自分の仕事において他者に役立つ「花」を
作れるよう精進してまいります。

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