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【思索の記録 #1】「結論から述べなさい」に感じる違和感について

普段紙のメモに書いていることを、「思索の記録」と題して公開してみます。
脳内に浮かんだ考えを書き出し、思考を深めていく過程になりますので、意見や見解を示すものではないことをご留意いただければ幸いです。

粗い個所は増えるかと思いますが、作品になる前の思考の断片として、お楽しみください。

書くことを通じて考えを深め、形にできそうだと思った事柄についてはエッセイ形式で公開するかもしれません。

「思索の記録」についてのはしがき


「結論から述べなさい」が現代における基本となっている
プレゼンテーションやビジネスシーンなど

結論から話すことの目的は?
→相手にわかりやすく伝えること
→聞き手・読み手に苦労をかけないこと

↳人間、苦労しないことに慣れると、苦労することはしたくなくなる。
難解な文章を読んだり、散乱した話を解釈していくことが億劫になる。

「結論から述べるべき場面」と「結論から述べる必要のない場面」を判別する力が求められるのではないか。


従来コミュニケーションを円滑にする手段だった文体が、文章の価値まで決定するようになっている。(手段が目的化している)
→YoutubeやWebサイトでも、結論から述べなければ離脱されてしまうのが現状。結果、必然的に結論から述べる必要が出てくる。

付随して、音楽の構成についても同様の現象がみられる。
サビを冒頭で提示する構成、前奏の短縮。サブスク等のコンテンツの海でスキップされないための工夫。

ビジネス的な観点から見ると、「結論から述べなさい」は推奨されるものから、必須のものになりつつある。

人間が行える表現の形態、思考の形態を狭めてしまっているのではないか。
秩序が善であり、混沌としたものが排除される風潮を強く感じる。
↳近代的な世界観に近い?第4次産業革命との関係を考えてみる

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