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フィッシュマンズを生み出した3つのエレメント

こんにちわ!今日は音楽ネタです!

テーマはフィッシュマンズです!最近ドキュメンタリー映画ができたとのことで、拙いながら一筆ケイジョウっす!

空中キャンプ以降のフィッシュマンズの活躍は有名なので、それ以前のフィッシュマンズに触れてみたいと思います!

複数形なんだからフィッシュ「メン」だろ、というツッコミには付き合いません!!

その1 日本のダブ ミュートビート

まず、フィッシュマンズといえば「DUB」なわけですが
日本のダブ・ミュージックの先駆者にして金字塔なのが、ミュートビート。


こういうインストのクールなレゲエです。当時はこんな音楽を鳴らしていたのは日本で彼らだけでした。フィッシュマンズのリズム隊は、彼らに大きな影響を受けているのは、明らかなところ。

ここでトランペットを吹いていたのがこだま和文さん。彼がのちにフィッシュマンズの初期アルバムをプロデュースすることになります。

朝本博文さん(UAのプロデューサー)やサイレント・ポエツ/リトル・テンポといったインスト中心のダブミュージシャンもミュートビートから影響を受けたと思います。

その二 忌野清志郎の歌詞とボーカル

フィッシュマンズ、というか佐藤さんが影響を受けていたのが、やっぱりキヨシロー。RCも「お墓」でカッコいいレゲエをやっています!RCはストーンズのパクリと公言していた清志郎だけに、ストーンズがレゲエに傾倒していた頃に影響を受けたのでしょう。

初めて聴いたとき、「あれ?これフィッシュマンズじゃん!?」と私は思いました!この曲はフィッシュマンズに大きなインスピレーションを与えた、と私は思っています!

この曲なんかは、牧歌的な曲を歌う清志郎にかなり近い気がします。RCのフォーキーな側面も、フィッシュマンズは取り入れています。


その3 日本のカレッジ・ヒップホップの影響

フィッシュマンズがこういう曲をやっていた当時は、ダブとロックを組み合わせて日本語で歌う、という発想はかなり珍しかったです。

甘いレゲエを日本語で歌うという点ではMoominとかいたけれど、ダンスホールレゲエの文化圏だったし、ダンスホールのシンガーというのは、自分のバンドは持たないもんです。クラブでDJが流す定番のリズムに乗せて歌ったりです。

また、同じこだま和文さんプロデュースのダブ・バンドにオーディオ・アクティブという名バンドもいますが、彼らは当時海外志向が強かった。歌は英語で照準はイギリスのオーディエンスに向けられていました。音のベクトルもミクスチャー/ノイズ/ニューウェーブでした。

むしろ、東京ナンバーワンソウルセットやスチャダラパーといった、黒人大衆文化をどう日本の郊外文化の中で再構築するか、という試みに同期していたような気がします。

だから、当時ダブ/レゲエの音楽に日本的な感性の歌詞が乗るバンドっていうのは、いそうでいないエアポケットみたいなポジションだったのです。

フィッシュマンズを初めてテレビの音楽番組で観たとき、ちょっと浮いてました。他のバンドはいわゆるロックバンドで、対してダブバンドってスロー過ぎて映像映えしないんですよね笑

音楽だけ聴くと腑抜けてましたから、佐藤さん頑張ってジャミロクワイみたいに踊ったりして盛り上げてました^^ なんか意味不明でしょ?笑

そんなところから、世間にフィッシュマンズ/ダブの存在を認めさせ、いまや海外からも高く評価されるようになったのはとても立派だと思います!

終わりに

佐藤さんが亡くなったというニュースを聞いたときは悲しかったですね。空中キャンプなんか聞きながら、下北うろうろしてましたから!
映画を機にフィッシュマンズのリバイバルが起こるといいですね!

興味が沸いたら、Neo Yankees Holiday(アルバム名)で動画ググってみてください!

ではまた、ごきげんよう~!

頂けるなら音楽ストリーミングサービスの費用に充てたいと思います。