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「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門」感想と要点紹介⑨

こんにちは、papaたぬきです。
書籍「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門」より、
感情と行動のコントロールについてまとめたものを記事にしたいと思います。

「私たちは感情にコントロールされているのだろうか?」
「私たちは感情をコントロールできるようになるのだろうか?」

いずれも答えは「ノー」です。

しかし、「行動」はコントロール可能です。
私たちがいくら怒りの感情に巻き込まれたとしても、意識すれば穏やかに話せたり、物を壊さずに落ち着いて過ごすことは可能です。
これは感情をコントロールしているのでなく、「行動」をコントロールしていることになります。

ACTで強調されているのは、

感情をコントロールするのは難しいが、行動は直接支配できる

ということでした。

たしかに、強い感情に晒されると私たちは一定の行動をとりやすい「傾向」があります。
手近にあったものを叩き壊し、叫び、泣き、人々に当たり散らし、深酒をし、何かしらの破壊的行動をする、といったようなものです。

また感情は「天気のようなもの」ともいわれ、常に存在し、常に変化し続けるものなのです。
予想できることもあれば予期せぬ状態にもなり得る、私たちのコントロールが基本的にできない存在とも考えられます。

人類の進化の結果、私たちは周囲のあらゆる刺激に対して警戒心をもつようになり、本当に自分を脅かすもの以外でも危険と捉えるようになってしまいました。
そうなると、保証のない未来に安心をもてず行動せずに「現状維持を努めたい」と自動的に考えてしまうものなのです。

そして、不快な感情をコントロールしようと努めれば努めるほど、もがけばもがくほど、取り払うために戦えば戦うほど、より多くの問題が発生するようになってしまうと言われてます。


たとえ話で、
「底無し沼にはまってしまったときに、外に逃れようともがけばもがくほど沼にはまってしまうような状態」といわれてます。
不快さから逃れようと余計にもがいてしまう機能を「悪あがきのスイッチ」と呼び、そのスイッチがオンで悪あがきをすればするほど不快感が増幅され、より不快な感情を生む思考に結びつき、当初より悪い結果となるといいます。

大切なことは悪あがきのスイッチをオフにし、感情を追いやることなく自由にさせ、認め、二次的な不快感を生まないことだといいます。


先ほどの底無し沼の例では、抜け出すためにはもがくのでなく、身体を大の字にし、身体を浮かせるようにじっとすることだと書かれていました。


また、感情を「ポジティブまたはネガティブ」「快または不快」「好きまたは嫌い」で価値判断し取捨選択するのでなく、生まれた感情はそのまま認め、自分の中に好きなだけいさせてあげるといった態度で臨むことだといわれていました。


とはいっても、人間の進化の過程で身についた判断能力を無力にするのは決してできず、どうしても価値判断してしまう場合は、今までにみてきた「脱フュージョン」のテクニックを使用し、「私は判断している」「心よ、教えてくれてありがとう」と心で呟くことによって思考と距離をおいた捉え方ができるようになるといわれています。


また、不快感を増悪させる考えとして、

「なぜこんな気分なんだ」
「なぜ自分はこうなんだ」
「自分が何をしたというのか」
「こんなふうに感じるべきではない」
「こんなふうに感じなければいいのに」

といった思考があげられていました。


このような思考に捉われると何の有益さもなく時間が徒労に暮れてしまうため、これらの考えに捉われていることにまず気づき、気づかせてくれた心に感謝の言葉をかけ、自分の価値に沿う行動に淡々と戻る必要があります。


このような考えをしてはいけない訳ではありません。このように思考していることに気づき、観察する自己を通して存在を認めることが大切だといわれています。


このように、感情と直接交流し、「思考する自己」が語る偏った物語を鵜呑みにする訳ではなく、「観察する自己」を通してありのままをみることを、「つながる」「接続する」と表されていました。


感情に対しアクセプタンスに関わるとき、悪あがきのスイッチをオンにせず、悪循環に陥ることなく、有意義にエネルギーと時間を使えるようになるといわれています。

続きはまた次回に。

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