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noteをやっている理由のハナシ

オッサンがnoteをやっている理由

 毒にも薬にもならないような個人的な感想を垂れ流し続けているこのnoteだけれど実は明確な目的があって始めている。
 それは、文章を書くという習慣をどうしてもつけたかったからというシンプルなハナシで、誰かのために貢献したいなんてことはワリとどうでもよかったり。
 この瞬間に考えたこと、思ったことをどっかに残しておいて後から振り返る必要を痛切に感じてしまう出来事があったからだ。振り返ることができればそれが何かの気づきや反省、改善に結び付くんじゃなかろうか。
 
 ガチのテクニカルな記事は書くことは最初から考えていなかった。
 書こうと思えばかけるんだろうけれど、「MD5の弱衝突性の再現性とその効果的な突破の実装」「IP Spoofingとその検知機能の実装」「GCの実装方式と効果のベンチマーク」とかいう記事書いても誰も読まん。某OSのメモリアロケーションエラーが発生する理由はこのCPUを使った場合、ソースコードのここが・・なんて解説をして誰が得をするんだ?

 ソレ以上に休みの日にそんなモノを書きたくない

1つの記事は2000文字以上で1時間以内

 他の方のnoteの記事は読みやすく適度に絵があったりして本当に素晴らしいものが多いがオッサンのnoteは文字しかない。しかも、大量の文字がエンドレスで埋まっている。さらに学びがほとんどない。申し訳ない。

 が、オッサン自信が仕事とは関係がない文章を書くという明確な自分の課題のためだけにやっているので、読んでいる方がいたら申し訳ないけれど承知して欲しい。

 noteを始める際に、1つの制約を自分に課した。
 だらだらとやってもしょうがないので作成する記事の分量と作成時間に制限をつけることである。こうすると何か書こうとする前に内容と作成時間を考えるので行き当りばったりに記事を書いて途中でやめるなんてこともないだろうなぁと。あとはタイムアタックのゲーム感覚。何か新しいコトを始めるのであればゲーム要素を入れておいた方が続けやすい。
 そういう意味ではnoteのバッジのシステムはいいよな。自分のためだけに記事を書いているので正直、モチベーションになる。

 このあたりの要素はゲーミフィケーションなんてモダンな考え方が取り入れられていて面白い。例えば社内用のCRMやCMSなんかに応用してもいい。その手のナレッジを投入し続ける必要があるようなtoolにどうやってナレッジをため込むのかってのはシステム設計ではなく業務設計になるわけだが、それっぽいシステムを作っても結局使われずに効果を発揮しない。
 使ってもらうための業務設計をとしてゲーム要素を入れていくのはアリだし実際にそういうツールをたくさん見てきた。システムを利用する人間もちょっとした楽しい要素があると仕事の効率もあがる。
 オッサンはAIXの棒人間が大好きなのでsmittyで済むところをわざわざXを引っ張りsmitを立上げ棒人間を眺めてはへらへらしていた時期がある。
 もとい。未だに部屋に鎮座しているAIXで動かしてへらへらしてる。どんだけあの棒人間好きなんだよ。

モノを書いていると連鎖反応が起こる

 上の文章を読んでいるとゲーミフィケーションについて書いてある。ゲーミフィケーションの要素をオッサンが知っていてそれを解説しているだけの文章。オッサンからするとただの感想文。

 でも、これを知らないヒトには、ほうほう、なんてコトもどうやら起こるらしい。知らないことを知らない。ある程度、年齢を重ねてくるとどうしてもこれが起こってくる。なんでも知っているような気になってくる。ピノキオのようにハナが高くなってくる。
 そのハナをどうやって自分でへし折っていくかってのもこの文章を書いている動機の一つである。
 
 文章を書いているとどうしても思い出せないことや調べなおさないといけないこと、ヒトと話さないといけないコトも出てきて、それが新しい学びになるのよな。その刺激を仕事以外の部分でも得たい。
 何を書くかなんてことを考えていると、ソコを起点にして色々なコトに触れて思いもよらないトコに着地してしまう。それが面白い。

 だけれど気を付けないといけないこともあって、最近、下のような文章を書こうとしたらソレが思いっきりパクリっぽいことに気がついてやめた。自分の脳みそがどういう構造になっているのかも、文章を書いてみると点検が出来て面白い。

 システム設計と呼ばれるものは、究極6個の要素しかない。
   1 input
   2 output
   3 select
   4 update
   5 insert
   6 delete
   全てのシステムは、限界まで分解すると、究極この6つの要素を組み合わせて成り立っている。
 逆にいうと、これだけ押さえておけば後はどうにかなる。

学びのあるnoteではない。

 控えめに言って、オッサンの記事は得られる情報も学べる内容もオッサンの髪と人間性同様に限りなく薄い。
 それでもアラフィフまで生きてきてフリーランスとして四苦八苦しながらどうにかこうにかメシを喰って、落語を見てあははと笑い、女の子の居る店で酒を飲み、楽しくやってる。

 文字が多い文書にしているのも理由がある。
 だいたい、この分量だとオッサンは3分程度で読める。多分、他のヒトもそうなんじゃないかと思う。

 ゲテモノを読む習慣ってのはあってもいいんじゃないかと。冴えない中年のオッサンからもささやかな学びが得られるのであれば。

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