「もがくこと」と「脱力」
中学は地元の中学校へ進み、サッカー部へ入部。
小学校ではサイドでプレーすることが多かったが、中学での私のポジションはボランチだった。今の私のプレーを知る人からすれば「え?」と思われるだろう笑
ボランチと言ってもパスで細かくリズムを作ったり、決定的なパスを出したり…とそんなタイプではない。相手が蹴ってくるロングボールをとにかく回収する、ピンチになりそうなところへ走り相手のチャンスを潰しに行く。非常に地味なプレーをしていた。体力には自信があったし、真面目な性格である自分にはこの役割は割と合っていた。が、俊足を活かしゴールを決めたり、ドリブルやスルーパスでチャンスを作ったり、そういう選手の方がやはり目立つ。
そうであるにも関わらず、新チームになると私はキャプテンに指名された。ここから中学のサッカーを引退するまでは本当に苦しかった。
まず、放課後の練習に顧問の先生はあまり出て来れなかった。つまり、練習の開始から練習の終了まで全て私が行う必要があった。最初はみんな協力して一生懸命やってくれた。しかし、少しずつ手を抜く選手が出てきた。それに対して私は「もっとやろうよ」と指摘するが、なかなか響かなかった。
目立つ選手じゃないのにキャプテンとして指摘してくる。一部の選手は「だるい」「帰ろ」と明らかに態度で示したり、練習外でも無視をしてくるようになった。今思えば、中学生っぽいな〜幼いな〜と笑えるが、当時の自分にはかなりきつかった。
チームは県大会ベスト16止まり。個のポテンシャルで戦っていた気がする。やはりサッカーはチームスポーツだ。個の総合値が高くても、チーム力が低ければ勝てない。
キャプテンになってからは、練習中も次の練習を考えたり、ピッチ外のことで悩んだりとサッカーが嫌になりかけていた。そんな時、強制的にサッカーができなくなる事態になった。
中学3年の春、膝が痛いな〜と思い近くの整形外科を受診すると、「大腿骨に良性の腫瘍がある、骨が脆くなっているので接触を伴うスポーツはしない方がいい。」と言われた。結果的に大きな問題はないということだったが、精密検査が終わるまでの数ヶ月はサッカーができなかった。そして、医者からサッカーができないと言われた時は自然と涙が出てきた。
サッカーが嫌だと思いかけていたのに、医者からサッカーができないと言われるとすごく悲しかった。
やはり私はサッカーが好きなんだと再認識した。
中学時代は本当に苦しかったが、今となれば良い経験だったし、いわゆる「失って気付く」という形で自分にとってサッカーの大切さを再認識できた。加えて、もっと自分に力があれば良かったのにという後悔もある。
最後に少し話がズレるが、私は結果的に中学時代の苦しさを「良い経験だった」と言えている。もし良性の腫瘍が見つかっておらず、サッカーから離れることがなければどうなっていたのか。サッカーが本当に嫌いになり、今はやっていなかったかもしれない。
苦しい時、もがくことも大切だし、それが成長のチャンスなのも事実。ただ、「もう無理だー」「ちょっと休もう」「ちょっとやる気スイッチオフで」というように、脱力することも本当に大事だと思う。
大きな壁を全力で押し続けていると体力もしんどい。だから一旦休憩して体力を回復したり、別の作戦を考えたり、もう壁を押すのをやめたり…。
中学時代を振り返りながらnoteを書くことで、そんな考えに至ってしまいかなり長くなってしまいました笑
次回は恩師と呼べる人に出会った高校時代です!!
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