28歳まで私は子供だった
27歳まで、早く大人にならなきゃなあと焦っていた。とりあえず嫌いなもの、不快なものに関しては一通り批判、時には否定しておかなきゃ気が済まなかったし、それを支持する人とは絶対に相容れないと壁まで作った。そのくらい私の正義は歪んでいたし、神経質だった。
28歳の時。とある病気がきっかけで、そこでしか絶対に出会えないであろう世代や経歴の人たちと病気が繋がりで出会って、酒を酌み交わすうちに、ケーキをつつきあううちに、私の嫌いセンサーはどんどん鈍っていった。
ていうか、人と関わってると自分の好き嫌いを主張できる場なんてほとんどなかった。それまで私が声高に叫んでいた嫌いなんて、タコツボの中で暴れてるタコみたいなもので、そこで叫んだところで誰が聞いてるわけでもないし、自分でその感情を消化できるわけでもなかったのだ。
初めて生身の人間を知った瞬間だったのかもしれない。
多くは年上の男性だったけど、彼らのそれぞれにかたくなな生き方、仕事や同僚や家族に対する男性としてのプライドみたいなもの。隠し切れないそのぶつかり合いの中で摩耗していく彼ら。男性のもろさを感じたし、それまであまり社会経験がなかった私にとっては、男性の人間関係のほうが厄介だなあと思わされた。
数少ない女性に対しては、ほとんどそれなりの社会的地位にいる人だったからなおさら、恋愛、結婚、出産、子育てと仕事の両立。そしてそれを妨げる多くの障害について。むしろ現実的に生きているのは女性なんだなあと思ったし、女性は感情で動くと言われて久しいけど、逆に論理的に自分の境遇を捉えるのは女性のほうが得意なのかなあ、とも。一転、多くは子供の存在だけど、視野が狭くなきゃやってられない現状もあるんだなあということもわかった。
28歳から1年間くらいそういう境遇にいたものだから、気づけば私は私の嫌いや不快に対して静かに息を止めたり、視界をぼやかしたりすることで、戦わずに済むすべを身に着けていた。
と同時に、大人にならなきゃという焦燥感がなくなった。とがりまくってたアンテナを仕舞う方法を習得した私は、ぼんやりと生きられるようになった。それまでは何に関しても過敏と言えるほど敏感だったけど、意図して鈍感でいられるようになった。
たとえば、国の行く末について。わけもわからず悲観したりしてた。だけど私がすべきなのは今日のごはんをおいしく食べ、すっきり排泄して、しっかり寝ることであって、私が悲観したところでたぶんこの国がよくなるわけじゃないだろうから。
あと「子供たちに夢を与えたい」みたいな表現、すごくよくわかったつもりになってた。大人たるもの、未来を創る若者に夢と希望を。
だけど毎日を生きるだけで必死の私がどうやって後世に遺物を残せる?それなら私自身が毎日心豊かに生きるほうが、よほど価値があるってもんじゃないの。
てな具合に。それまで、あまりにも自信と自意識が過剰だったんだと思う。私が思うほど、私は世の中を動かすような影響力なんてないのに、私には備わっていると思い込んでた。
小さな世界で構わない。私と私が大切な人たちが幸せであればそれでいいじゃない。ぼーっと生きてて何が悪い?そんなふう思うようになったのだ。
その後3年くらい1年ずつ大きく生活が変わっていったんだけど、28歳での転機のおかげかなあと思っている。
今、私は自分を子供だと思わない。かと言って、大人になれたという実感もそれほどない。
ただ言えるのは、必要のない毒は持たず、必要のない牙を折って生きていられる楽さみたいなものを手に入れられたなあということ。
ネットでしか吐き出せない毒があったり、牙をむき出しにしないとやってられない気持ちもよくわかる。でもさ、それもありじゃない?ってゆるい余白があると衝突したときのショックが和らぐよ。なんて。