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チョコレートドーナツ~優しさとは~


こんばんは。今日もお疲れさまでした。knot.です。
最近投稿できてなかったので、何か書こう!と思い、即興で書いております。今日は、日常の些細な出来事をもとに、私の性格とそれに対する考えを少しお伝えしてみようかなと思います。


チョコレートドーナツ

先日、といっても、まあまあ日数は経っているのですが、東京に行きまして、そこでおいしいドーナツを家族へのお土産に買っていきまして。一人二つずつがちょうどよいかなと思い、シュガーグレーズドのドーナツとチョコレートドーナツを3つずつ買いました。そのうち、チョコレートドーナツの中でも、ナッツがちりばめられたドーナツを自分用に買い、自分だけちょっと特別にしてしまったのですが・・・。
ここで、事件が・・・。
父に、「ナッツの食べていい?」と、聞かれ、私は二つ返事で「いいよ。」と答えたのです。
これに関して、父は何も悪くありません。だってナッツのやつが食べたかったから食べる許可を求めてきたわけで。でも、私は自分のために買っているわけだから、「それは私の。」と、言えばよかったのです。でも、言えなかった。はい、つまりはそういうこと。私、こういうの言えないタイプなんです。家族にすら。言えないんです。どういうわけか。


優しい人になりたくて

これには、私のこれまでの私作りが関係していて、簡単に言えば、私は、中学生くらいから「優しい人」を目指していたんですね。小学生頃って、自分のアイデンティティを確立し始めるころじゃないですか。私、しっかり者で、はっきり話す毒舌キャラになりたかったんです。でも、性に合わなかった。人を傷つけているような感覚に苦しんだんです。そこで、中学生ごろからは誰よりも優しいことで他者から認められようとしていたんです。きっとそんなこと意識しなくても、私は十分優しさをもって人と接することができる人だったとは思うんですけど。(急に自己肯定感が高いこと、許してください。)絶対に悪口は言わないこと自分より他者を優先すること、この二つを徹底していたら、自分の意思なんてどうでもよくなって、自分がどうしたいとか、分からなくなったんです。今思えば、この状況はめちゃめちゃ危険ですね。でも、悪口を言わないのは正解でした。面倒なことは起きないし、印象はいいし、何より自分が悪い人な気がしなくて心地よかった。だけど、それは、行き過ぎれば自分を押さえつける行為。学校ではそれでよかったかもしれないけれど、家でもそうだったんです。だから、どこにいても居場所を感じられなかった。誰も悪くないけど、私の本心に気付いてほしい、私にももっとかまってほしい、そう思うことは多かったです。そんな日々が積み重なった結果、チョコレートドーナツを自分のものにできないような人になってしまったのです。


次なる目標「ちょうどいい優しさ」

これがしたい、あれがほしい、ここに行きたい、あれを食べたい。きっと3歳の子でもいえる。そんな単純なことが大人の私に言えない。いや、言えなくなることが年を重ねるということなのかもしれないけれど、今回のドーナツに関しては絶対違います。言えないとだめです。なぜなら、自分に優しくないから。私、自分で言うのも何なんですけど、人に優しく自分に厳しいが行き過ぎているんです。その結果、家族にすらこれが食べたいが言えないんです。自分がこうしたいを言えない人だ、それじゃあ自分のためにならない、自分のための行動をしよう、自分にもっと優しくなろう、自分は何をしたいのか、自分の意思を尊重しよう、そういう自覚が芽生え、些細なことも自分を優先していく意思と行動が伴い始めていた矢先の出来事だったので、自分でも衝撃でした。このチョコレートドーナツの出来事は、きっと私は一生忘れない。そして、この先出会うであろう私のパートナーには、チョコレートドーナツは私のものだと伝えられるように、その上で、半分こしようとか、一口あげるとか、そういうちょうどいい優しさを与えられるようになれたらいいな、と、ちょっと理想が高いかもしれない将来を夢見るknot.なのでした。人に優しく、自分にはもっと優しくを心掛けたいですね。


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