いつも心に「ティモシー」を
『ダンボ』という傑作
『ダンボ』知ってますか? いやはや、知ってますよね、ダンボ。暖房じゃないよ、ダンボ。そう、あの耳が長~いゾウさんです!
ディズニーに残る最高傑作!と言って過言ではない『ダンボ』。これを私は4,5歳くらいのときに観て、あまりにも感動し、なんどもVHS(当時はVHSが一般的だった)を回したものです。
しかしながら、昨今のディズニーの体たらく。「奇跡の実写化」を謳う世迷言で集客するビジネスライクな態度。いけませんね、いけませんよ……。
ということで、『ダンボ』の素晴らしさを今一度思い出してみようではありませんか!?
生まれ持っての障害、差別、親との別離……過酷すぎるダンボちゃん
サーカス団、見世物ゾウの集団の一員である母ダンボこと、ジャンボは、コウノトリが我が子を運んでくるのかを、今か今かと待ち望んでいる。どうも大人になってから見かえしてみると、高齢っぽい。さながら、高齢出産を待ちわびているよう。そんなとき、ついに赤子が運ばれてくる!ヤッター。
なんて可愛いんでしょう!われらがダンボちゃんだ!かわいいかわいいダンボちゃん。愛しい我が子、……しかし、ダンボには生まれつき障害があった、耳が大きすぎたのだ。
死ぬほど性格の悪いババ……もとい、おばさまがたが、口々に嗤いだす。「嫌~ねぇ~、あんなにだらしなく耳を出して~」。このクソ・レイシ〇〇が~と叫びたいところだが、ババ……もとい、おばさまがたは結託したマジョリティなので、怒るジャンボなんて気にも留めない。本当にク〇ども。
でも、ダンボちゃんは平気。だって、世間から非難されたって、愛情を注いでくれるママがいる。優しく抱かれて、すくすくと育つダンボ。
ところがどっこい、ダンボにいたずらするクソガキに対し、ダンボを守ろうとしたジャンボは、折檻され、牢獄につながれることになる。ただ守ろうとしただけなのに……。
謎のねずみ、ティモシー登場!
ダンボちゃんは、天涯孤独の身となってしまうではないか! そこに現れたのが、我らがねずみ、ティモシーだ!ミッキーじゃないよ。
ティモシーの素性は、劇中で明かされることがない。おそらくねずみとして、苦労を重ね、それでも気高く生きてきたのであろうことが、見た目や態度から伝わってくる。ティモシーはダンボが嘲笑の的になり、つらすぎる境遇に陥っていることに納得がいかない。
「正義感」「憐憫」「同情心」「慈愛」いずれかはわからぬが、とにかくダンボに力を貸してやろうと誓う!ねずみを汚らわしいと忌み嫌うババ……たちを追っ払う。
「なんだい、可愛い耳じゃないか」
ティモシーは、牢獄につながれたジャンボのもとへ、ダンボを連れて行く。
ジャンボは鎖につながれ、柵に閉じ込められ、ダンボを抱いてやることもできない。それでも懸命に長い鼻を出し、ダンボをあやすのだ!
「泣かないでね。かわいい坊やよ~♪」
号泣メーン!ここで泣かない人はいるだろうか?私は4歳くらいから、見るたびに泣いてきた。しかし、ここで改めて注目すべきは、ティモシーである。
何も言わず、傍らに寄り添っているティモシーも、思わずもらい泣きする。いったい、どんな人生をこのねずみは歩んできたのか。「やさしい」という言葉ではくくれない、「共感」の涙である。
母親と別れ、なんとか生きていこうとする赤子のダンボ。見世物として出るが、失敗をしてしまう。はてさて、アルコール、というかド〇ッ〇描写などを挟み、気づいたら、木の上にダンボはいた。
ゾウが空を飛ぶ?
一夜明け、無頼漢のカラス(黒人)たちが寄って来る。リーダーのカラスに言われた冗談を真に受けたティモシーは気づく、「ダンボ、お前は空を飛べるんだ!」しかし、そんなことがあるのだろうか。「ゾウが空を飛ぶ? ありえない」。
「ゾウが空を飛ぶ?」「聞いたことないね~」「そんなわけないだろう!」嘲り笑うカラスたち。
ティモシーは叫ぶ。
「かわいそうな子ゾウをいじめて恥ずかしくないのか。まだ赤ちゃんなのにママに甘えることもできず、一人ぼっちなんだぞ。」
ティモシーの迫力ある言葉に、胸を打たれたカラスたち。ダンボが飛ぶために力を貸してくれる。カラスの羽根を抜いて渡し、その魔法の羽根をつかんで、見事に飛び立つダンボ。
「こんな驚いた話はないよ~、ゾウが空飛ぶよ~♪」
ダンボはなぜ空を飛べたのか?
さて、名誉挽回のサーカスで、ピエロとして、空飛ぶゾウとして登場するダンボ。緊張の中、演目が進み、とうとうクライマックス。高台からのダンボの落下だ!
果たして成功するのか。ドラムロールが鳴り響く。そんなとき、魔法の黒い羽根をダンボは放してしまう……。ああ、ダメだ、羽根がなければ、飛べない、このまま地面に激突だー!そこで、ティモシーが叫ぶ!
「魔法の羽根なんて嘘だ。君は飛べるんだよ、飛べ、飛ぶんだ、ダンボ!」
激励を受け、見事に飛び立つダンボ!そう、ダンボは魔法の羽根なんてなくても、飛べたのだ。大きい耳は、ただバカにされ、いじめられるだけの障害じゃない。空を自由に飛べる、ダンボだけが持っている能力だ!
ダンボは晴れて人気者となり、母親とも再会でき、幸せになる。
『ダンボ』を大人になってから振り返って観ると、特徴的に感じることが一つある。それは、主人公であるダンボが、一切しゃべらないのだ。赤ん坊だから当たり前ではあるのだけど、なかなか珍しい。
そして、ティモシーの異常といっていいほどの献身である。少なからず大人の世界では、「やさしさ」には打算が含まれているといってよいと思う。しかし、ティモシーがダンボを支える姿に、自己利益はない。非常にキリスト教的価値観での、教条的な作品なのかもしれない。
ダンボがなぜ空を飛べたか。幼少期はただただ感動していた。10代になってから見返したときには、それは生まれ持ってのマイナスだって、プラスに変えられるというメッセージだと思った。さらに歳を取ると、ティモシーの存在が目につく。
ティモシーは、母親であるジャンボを除いて、一度もダンボを見捨てない唯一の人物だ。常にダンボが活躍する道があるはずだと信じ続ける。なんというキャラクターだろう。
翻って自分自身は、人に冷たくないだろうか。
「魔法の羽根なんて嘘だ。君は飛べるんだよ、飛べ、飛ぶんだ、ダンボ!」
それほどまでに、人を信じたことはない気がする。自分で自分に対してはどうだろうか。
「魔法の羽根なんて嘘だ。君は飛べるんだよ、飛べ、飛ぶんだ、ダンボ!」
やはり、まったく信じていない。
「魔法の羽根なんて嘘だ。」
というセリフは、いくらでも、誰であっても、簡単に言える言葉だ。ティモシーの素晴らしさは、その先にある。ダンボは魔法の黒い羽根は放してしまったが、激励するティモシーはついぞ離れなかった。自分のためにも、他人のためにも、いつも心にティモシーを持っていたい。
「君は飛べるんだよ、飛べ、飛ぶんだ、ダンボ!」
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