言葉の鎖
言葉の鎖、よく聞く言葉ですが、自分で気づくってなかなかなかったりしませんか。
私も最近また一つ、鎖を見つけました。
こんにちは。明立 真惠子(あだちまえこ)です。
機能不全家族で育ったということ
私は機能不全家族で育っているので、いろいろと普通(?普通ってなんだ?)ではない部分があることをしているのですが、そのうちの一つに言葉の鎖があります。
振り返ると、ありとあらゆる手で親の言うこと聞かされてたんだなーと思う。
今回気づいたのは「働かざる者食うべからず」っていう慣用句。
これは、聖書の意味だと「食べていくためには真面目に働かなければいけないということ」。
ここで書かれている「働こうとしない者」とは、「働けるのに働こうとしない者」であり、病気や障害、あるいは非自発的失業により「働きたくても働けない人」のことではないとされている[1]。Wikipediaより。
まあ意味は分かる。慣用句としても知ってた。
さて、うちの母はいつ使ったか?
それは、私が勉強をさぼっていた時、家の手伝いをしなかった時、これを言ってきた。特に、喧嘩をしたあと(喧嘩というより、今思えば私の言い分が通らなかっただけ)怒られた後に当てつけのように言われていた言葉だった。
実際、なんか怒られたままご飯が用意されていなかったりされてたなーと今思えば。
謝ればあるんだけどね、机の上には準備されてないし、ご飯の時間に声もかけられない。この話はこの辺にしておくけど。
でも、これって子供にかける言葉と態度じゃないんだよなあ。母は「学生の本分は勉強だからやれ」「家のことを手伝え」と言いたかったんだと思うけれども、結局この言葉と態度で「自分の意を伝え、母の意に添わなければ死ぬ危険があるよな」って考えたことは事実なんだよな。
大げさなようだけれど、私も謝りたくない、謝れないときもあったので「このままご飯なしが続くならどうしたらいいかな」「ご飯どうやったら作れるかな」「お金はどうしよう」とか考えたこともあるんですよね。
生育の中での言葉の鎖って本当に重い。
だって、それが自分にとっての『世界』での話だから、それが正しいと思ってしまう。
気づいたら斬っていってほしいので、今回の私のやり方を。
今回気づいたきっかけ
仕事で、すごく重たい話を昨日聞いて、それがなかなか抜けなかったので「なんでだろうか」ということに向き合いました。
そこに注意が向く、今回は特定の事象に「苛立つ」があったので、苛立つ理由を「なんでこれにいらだつの」ということを脳に「なんで?」と聞きまくった。
そうしたら、この過去にたどり着いた。忘れてるもんだな、と思ったわ。
やたらと気になること、特に腹が立つとか苛立つ、とかいうことが出てきたときは、その感情ではなく「なぜ腹が立つのか」「なぜ苛立つのか」「なぜ気になるのか」を見たほうが、自分のためになる。
いい機会だととらえて利用するほうがいいです。
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