#4

1年で辞めてしまった会社。
その表現は少し間違っている。

2月26日に最終面接をし、その場で合格を言い渡された私は、数日後の翌月、3月入社となった。
私が入社したのは所謂結婚式案内所だ。
最初の数ヶ月は業界の歴史や100幾つある取引先の価格帯や長所・短所、チャペルの雰囲気やバンケット(披露宴会場)の収容人数等などをある程度把握することに費やした。
それと同時に専用システムの扱い方と入力の仕方の決まり事。
ほぼ毎日空いてるブースで同期と共にノートを広げ自学の毎日。
おかげで私は今でも、チャペルの写真だけでどの会場か分かるという謎スキルを持っている。

少ししてからジュエリーの研修も受け、婚約・結婚指輪の選び方や相場を話しつつ試着してもらうブースに立つこともあった。
売る訳では無い。
送客出来てもマージンが入る訳では無い。(これは式場に関しても同じ)
それでもお客様の、幸せなお二人の為に精一杯努力して笑顔で対応し、勉強した。

3ヶ月が過ぎた辺りから、式場案内の応対のロールプレイングが始まった。
私達は中立の立場で、お客様が秘めている本当のニーズを引き出し、ぴったりの式場を提案する。時には妥協点を見つけたり、イメージの湧かないお客様にあれこれ質問を投げかけ一緒に結婚式を想像する必要もあった。
また、結婚式は数百万が動くイベントだ。突っ込み憎い聞にくい話もして、シビアな部分もきちんとお話しなくてはならない。
1枠90分、導入、ヒアリング、式場のピックアップ(その間に別スタッフにジュエリーの試着を担当してもらう)、ピックアップした式場のプレゼン、見学希望があれば日にちを決め先方に空きがあるか確認し、試食会などがあればアレルギーがないかお客様に確認し伝え、見学日の予約が完了すればそれをお客様にお伝えして、お見送り。その後システムでお客様の要望やイメージをまとめて先方に送信する事務作業。
これでお客様が現地で結婚式に対する想いをまた同じように最初から話す手間を省く。

これをデビューすれば、通常であれば1日に何枠もする。

私はロールプレイングで全然上手くできなかった。上手く、というか、上手くしようとして自分だけが喋っていた。
「ヒアリング」が全くできていなかったのだ。
ニーズを引き出すことの難しさ、どう問いかければどう返ってくるかはお客様それぞれで違う。
マニュアル人間の私、しかもニートからいきなり働き始め、更に抗うつ薬や安定剤を飲みながらの仕事。
上手くできるはずがなかったのだ。

「上手くやろうとしないで、丁寧に聞きに行く姿勢を持ちなさい」
「正確な情報を伝えなきゃって気持ちだけになっている」
「ナチュラルに失礼なこと言ってる時がある」

平たく言うと、挫けた。
なんでもソツなくこなすタイプの人間として学生時代を過してきて、新卒の就活で挫折を味わい、ニートから這い上がって掴んだ契約社員のこの仕事は、私のメンタルにはハード過ぎた。
どちらかというと私がソフト過ぎた、という方が正しいだろう。

ストレスから会社に行くのが辛くなって、また、5勤2休ではないシフト制に身体がついていかず、脚のリンパ浮腫は悪化し、メンタルも悪化。
夏前に休職となった。
休職の名目は脚の悪化。
でも本当はメンタルが耐えられなかったから。
脚の診断書はおそらく取れない、つまり休職中の傷病手当は貰えない。
母方の祖母が残してくれていたお金を使って療養する日々だった。

毎週火曜日にはバリキャリの、二次面接で面接官となっていた課長に現状報告メールを送る。

日常から離れたくて、ひきこもり専用のSNSで知り合って付き合った千葉に住む彼氏の家に1週間泊まりに行ったりもした。
彼はまだ大学生で奨学金と仕送りで生活するもお金が足りなくて、バイトもせずに車校代だと渡されたお金を生活費に当てるようなクズ男だった。
せがまれて江ノ島旅行にも行った。お金は全て私持ちだった。麻痺していたのだろう。
オシャレなカフェ併設のビジネスホテルにチェックインしたらまずセックス。
夕方日が落ちる頃に出かけて江ノ島水族館へ行った。入場して直ぐに彼は「帰りたい」と言い始め、そこで私はもうウンザリしてきた。
江ノ島まで来ているのに生しらす丼は食べずに近くのデニーズで釜揚げしらす丼を食べる始末。当然私が支払った。

そんなこんなで休職中も悩み事は絶えずあり、貯金はどんどん減り、そろそろ休職から復帰しないと退職になってしまうと、半年後に復帰した。
が、ロールプレイングでやっぱり上手くいかない。
もう薬で脳みそが溶けているんだと思っていた。
私には無理だ。きっと馬鹿になったから無理だ。
私はまた脚のせいにして仕事を辞めた。
働いていた時間より休職してた時間の方が長い。
馬鹿らしい。
またニートに戻った。

そんな時に大学時代軽音楽部でバンドを組んでいた子からライブに行かないかと誘われた。
彼女はインディーズのバンドのドラムをしていた。
知り合いのドラマーからライブのお誘いが来たから気晴らしに行こう、と。
丁度ヨーグルトのみを食べるという南条あや式ダイエットに成功して痩せていた私は、彼女から貰ったワンピースを着て心斎橋のライブハウスに向かった。

そこで、私は眩しい眩しい、赤い地球に出会ったのだった。

#私小説 #小説 #文学 #エッセイ

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